絶品スイーツ「クナーフェ」発祥の地!
絶品スイーツ「クナーフェ」発祥の地!
私が出会ったナブリスで一番美味しいクナーフェ
中東のスイーツとい・え・ば!クナーファ!!(クナーフェ?どっちだろ。以下クナーフェと呼びます。)
ここナブリスが発祥と言われているスイーツで、出来立てを食べられるのが醍醐味!
地域によって少しずつ違うようですが、私はここでクナーフェに出会い、衝撃を受けました!!
狂おしいほどうまい!
カリッと焼けた糸のような小麦生地から、フレッシュなチーズの焼けた芳香が鼻腔を抜ける!じゅわっと薫るローズウォーターとチーズのトロミに悶絶!!
チーズ好きの私にとっては、心臓のど真ん中刺された感じ(笑)
特によかったのが甘さ。
中東アラブ諸国の甘みって、本当に甘すぎてオエーってなることも多いのですが、このお店の甘み抜群。
なんならこの私が ”追いシロップ” したくらいです。(※「この私」って誰。=ケーキバイキングに行って、ケーキ2つ目で吐きそうになったくらいの人。笑)
ここでは正式には「クナーファ・ナブルシーヤ」。
と呼ばれていて、主な材料はセモリナ粉で作られたクナーファ生地、ナブルスチーズ、ローズウォーター。
どれも買って帰れるので私はローズウォーターとナブルスチーズを買って帰りました〜笑。
ナブリス発祥のものってなんでも美味しい!
このナブルスチーズはなんとなくモッツァレラに近い感じ。この地域の「タヒーナ」も御用達で使ってます。
このお店を見つけれたのは・・・
このお店との出会いは、ある女の子との出会いが始まりです。
今以上にアラビア語ができなかった私が、初めてナブリスを訪れた時、10代女の子が挨拶をしてくれました。
お父さんと二人で歩いていたその子の笑顔が、あまりにも可愛くてニコニコしていると、その子が私と手を繋ぎ、絶対に離そうとしない。
お父さんはとても焦っているようで、その時の様子から、自閉症スペクトラムを持っていることは明らかでした。
その時私は時間も気にしない旅行でしたし、目的は噂にきく「クナーフェ」のみ。笑
「大丈夫、大丈夫」とお父さんをなだめて、その子と手を繋いで旧市街を歩きました。
アラビア語で何か言ってはニコニコする彼女に、私はひたすら「クナーフェ食べたい」を連呼。
なぜでしょう、全ての壁を乗り越えて伝わった様子で、その子が「ハッ!」と顔を輝かせ、私を引っ張ります。
途中見つけたクナーフェを指差すと大きく首を振って、こっちだこっちだと引っ張る。
そうしてたどり着いたのがこのお店でした。
そんな訳で、他のお店もあるし食べてみたいのだけれど、いつもここにきてしまう。いつか食べ比べもしてみたいです。
料金と注文の仕方
一皿5NIS(150円)安い!!なぜかみんな立ち食い。笑
狙い目は出来立ての熱々!次々くるのでグッとこらえて熱々をゲットしてください。
甘いのが好きなかたはシロップも足して!
お金は後払いでOK、お店の中で支払ってね。
にっこり目をみて挨拶し、1つ!とジェスチャーすれば大丈夫。順番とかあんまり無いのでそこはグイッと行ってください。
アラブでのコツは「気持ちのいい挨拶」だという体感。しかも目を見てにっこりが効果テキメン!
どんな不機嫌な人でも、こんにちはや、さようならは絶対返してくれます。
しつこいセールスにあった時にも、NO!では立ち去らないのに、アラビア語の「さようなら」を伝えると、挨拶をして去っていく・・・という体験をしています。そんな場面があれば試してみてください。
最後に・・・
このお店、ハマると度々思い出す名店!
2度と来れないかも・・・と思うなら、おかわりしておくことをオススメします。笑
このお店のお向かいに、おすすめの石鹸工場があるので、そちらの記事も要チェック!「ナブルスの100%オリーブ石鹸」
※西岸地区に行く時は必ず現地の情報を確認してご自身で判断してください。「注意!西岸地区へ訪問する前に必ずチェック!」
絶対外せないスポット!天空の要塞
マサダは、独立してそり立つ天然の崖の上に作られた要塞で、古代に難攻不落の城として天才建築家「ヘロデ大王」が建てたもの。
その規模には現代の私たちにも信じられない古代のハイテクが詰まっています!
約550m×270mの大きさで、海抜60m。
海抜60m と聞くと低いけど、死海からは約490mの高さ。眺め抜群です。
今回は、ヘロデ大王が建てた要塞の見どころを紹介したいと思います!
まず、頂上を目指しましょう・・・
ケーブルカーの場合
灼熱の荒野で歩いて登るなんて無理。わかります。
ヘロデ大王だって、自分の足で登ったことは無かったとか・・・すごくおデブさんだったようなので、担いで上った奴隷たちの根性と体力すごい。
現代には、安心のスイス製ケーブルカーがあります。一気に上昇する感覚はまるでアトラクション。眺めも最高!
ただし、かなり人気でギュウギュウ詰めのことが多いので、窓際を死守してください。笑
私は161cmありますが、いつも西洋方々の中に埋まります。みんな背も高いし、幅も違う。何も見えない。
(西側からローマ時代の攻城路を登ったり、東側から蛇の道を登ったりすることもできます。 )
料金はスイス製だからか、お高め。でも安心安全の保証はがっちり。片道券も買えるので、学生とか節約重視なら、どちらかは徒歩でも楽しいよ。
ケーブルカーだとほんと一瞬だけど、登山途中も絶景。ただし、傾斜がきつい階段の連続で、下りの方が膝にきます!気をつけて!
徒歩の場合
日の出の1時間前に蛇の道のゲートが開きます。
夜明け前の一番闇が深い時間にそびえ立つマサダの迫力。
そんなに大きな山ではないのに恐ろしささえあります。見上げると満天の星。
頂上までの道はクネクネと蛇のように見えるけど、実際歩くと古代から続く不規則な階段がひたすら心臓を攻めて来る急所ばかり。
深夜に登る醍醐味は、この夜空に輝く星と日の出。
汗が冷える朝のマサダ山頂で、ホットコーヒーを持って行って、日の出を拝める贅沢はまるで登山家にでもなった気分。日本の保温ジャーは本当優秀ですね〜。
夏でも冷える荒野の朝晩には、ウインドブレーカーみたいに風を通さない軽い上着が必須。
途中はヒートテックが憎たらしいほど熱くなるので、着て行かずに持参が正解。
日が昇ってからは乾燥した風が心地よく、日を遮る休憩所も少しあるので、一息つく時の心地よさは爽快。
もちろん夜明けに昇った時より絶景!
ただし、水と帽子、サングラスは忘れずに!夏場は気温が暑すぎると登山道が閉まるので、昼から午後は避けたいところ。
3月の写真ですが、裸の人いますね。笑
海抜も低いので酸素が多いこともあって初心者にもありがたい登山です。
所用時間は30-45分ほど。すっごくゆっくり行っても1時間あれば登れるはず。
見どころ
ここにも水道を通しているから、ヘロデには驚きます。(今も頂上で水がくめるようになってます)
こんなところでローマ式のサウナ(お風呂)がある贅沢ぶり!!
当時は死海の沿岸がマサダのすぐそばまであったらしいので、オーシャンビューです。
しかも!一番の絶景、マサダの特等席の絶壁に宮殿がありました!
ここは是非とも恐怖の垂直階段を降りて堪能して欲しい。
もう一つ見逃せないのが、シナゴーグ跡の片隅にある小さな部屋。
そこを覗くと、古代ヘブライ語のカリグラフィで聖書(トーラー)を写本しているラビがいます。
クムランに立ち寄ったあとだったので、一文字一文字神の言葉を写本している姿には、思わず息飲むような神聖さも感じる!
人が多くなければ、礼儀正しく挨拶してみて!
質問に答えてくれたり、笑顔を向けてくれたりします。(写真をとる時には一声かけましょう。)
約2000年前の包囲跡
ヘロデ大王は、紀元前37年〜31年の間に、この山に自分のために二つの宮殿を建て、マサダを要塞化しました。
ユダヤ人歴史家ヨセフスによると、第一次ユダヤ・ローマ戦争末期の73年〜74年にかけてローマ軍がマサダに立て篭もったユダヤ人最後の反乱軍を包囲。
遺跡から眼下をよく見ると、約2000年前、ユダヤ戦争の最後の砦となったマサダ要塞を落としたローマ軍の包囲跡を確認することができます。
西側には、不落の要塞と言われたマサダを攻略したローマ軍の土塁跡も残っていて、今ではもう一つの登山道となっています。
当時のローマ帝国の軍事力は現代にもその力を誇示しているかのよう。
現代イスラエルのアイデンティティの一部ともなっているユダヤ戦争。
マサダ要塞の最後は、別の記事で・・・現代イスラエル軍の魂に触れるような体験です。「人気の観光地「マサダ」の物語」
死海を見下ろす絶景!イスラエルの大人気観光地にぜひ訪れてみてください。
施設設備・入場料・時間
屋根付きの無料駐車場完備。
トイレも綺麗で館内はガンガンに涼しいです。(夏場)
レストランフロアも広く、店舗はいくつかありフードコートのようになっています。
お土産ショップが充実していて、ちょっとしたコンビニみたいなショップもあり。死海の高級化粧品で有名な「AHAVA」が入っていて観光客には大人気!
入場料:大人31NIS / 子供17NIS
入場時間:08:00 – 17:00 祝前日16:00まで。 国立公園への入場は、記載の1時間前に終了します。 (祭りによっては例外で12〜15時までの場合あり。)
登山(徒歩):無料
ケーブルカー:大人 片道 28NIS 往復46NIS/子供 片道 14NIS 往復28NIS( 最後の登りのケーブルカーは閉園時間の1時間前。)
徒歩ルート
Snake Path(蛇の道/死海側、東側)は毎日、日の出の1時間前に開門し、閉門時間の1時間前に閉門します。(暑さが危険に達すると閉まります。)
徒歩1時間ほど、急斜面と階段が続きます。
Roman Ramp Path(ローマの道/アラドから入る西側)は東側からは繋がっておらず、アラドの町から回って行きます。「ナイトショーにキャンプ?!もう一つの裏マサダ」
マサダ要塞遺跡群 HP:Masada National Park
マサダへのアクセス
ちなみに駐車場はココです。↓館内とエレベーターで繋がってます。
世紀の大発見!死海文書の出た洞窟
20世紀最大の大発見と言われる「死海文書」。
エヴァンゲリオンで聞いたことがある!という日本人が多いと思うけど、ここイスラエルに現実に存在するんです!!
2000年の時を超え、現代に蘇った死海文書を書き残したのは、クムランに暮らした謎多き集団「クムラン教団」。
彼らは俗世を離れ、荒野で男性のみの共同生活をしていました。
巻物には聖書の写本の他にも、神の子のテキストや光の子と闇の子の戦い、予言もあるとされています。
その謎に包まれた解明できない存在は、考古学者や宗教者、科学者、言語学者、歴史学者以外にも世界のオカルトマニアを戦慄させたとか・・・。(ゼ・・・ゼーレ?!)←これはただのエヴァ好き。
生物が生きることをゆるさない海「死海」の名を冠した禍々しい名前。暗号や、解読できない古代文字・・・。
死海文書の預言書には世界の終わりが予言され、しかも、イスラエル復興の予言が記された死海文書が見つかった翌年、現代イスラエルが1900年ぶりに建国されたのです・・・!
奇跡に次ぐ、奇跡・・・謎に包まれたこの書物に一体どんなパワーが!!
世界中のオカルト好き集まれーーー!笑
煽りに煽っておいて何ですが、現在、死海文書はデジタル化され公開されています。
(残念ながらクムラン教団は秘密組織ゼーレではありません。笑)
死海文書発見のストーリー
とは言え、歴史的、宗教的、言語的に非常に重要な意味を持っていて、考古学的に歴史を多きく塗り替える大発見であったことは間違いありません。(読めれば分かるというものでもないしな。)
イスラエルにある死海近くの洞窟で見つかった古代の巻物、その数972。
何が奇跡って、その数の写本が2000年も見つからなかったことが奇跡だと思う!
どうやって見つかったのか、そのストーリーを簡単に話すと・・・
1947年、羊飼いのアラブ人少年が小石を投げました。
小石はある洞窟に入り、何かが割れる音が響きます。
不思議に思って洞窟に入ると、そこに壺を発見。
そこにはヘブライ語で書かれた7つの巻物があったとか・・・。
行けばわかりますが、いかにも何かありそうな洞窟に見えるし誰でも入れそうです。
そんな周辺の洞窟からも死海文書が次々と発見されます!
なぜ2000年間誰も見つけることができなかったのか・・・なぜイスラエル建国のタイミングだったのか・・・まさに神隠し。
死海文書の内容
発見された書物は、イザヤ書全巻の完全写本を含む聖書関連古文書。
記された文字は大半が失われた、古代ヘブライ語。
奇跡としか言いようのない保存状態は世界中を驚愕させました。無傷の巻物とはいえ2000年前のもの。
巻物以外にも砕けた小さな断片であったり、触ればボロボロと砕けてしまうような状態のものも・・・。
発見当初の科学技術では限界があったため、解読は発見から60年かかってしまいます。(そりゃ色々妖しい噂にもなる。)
今尚、未来のテクノロジーを静かに待つ巻物もあるのだとか・・・。
書かれていたのは、「ヘブライ語聖書(旧約聖書)正典本文」、「旧約聖書外典」と「偽典」とよばれる文書群、エノク書、ヨベル書、トビト記、 ○!※□◇#△! ・・・など(聞いてもよくわからん)
現在はエルサレムにあるイスラエルミュージアムの死海写本館に保管、展示されています。
ガイドさんが一番熱く語っていたのが、これまで見つかった聖書写本の最も古いとされていたものを、軽々と1000年超えた、という説明。
ガイドさんの熱は伝わった。「聖書」ってそもそも起源がめちゃくちゃ古い。
何千年と受け継がれてきたものらしいのだけど、もちろん印刷機ない。つまり、手書きの写本のみ!
どれくらい大変かって、1つの巻物を書き終えるのに数年かかるとか。気が遠くなる。
そして、2000年前と今の内容に違いがほぼない・・・というのです。
つまり、今の旧約聖書は死海文書と変わらないってことです!(すごっ)
カリグラフィのような美しい手書き文字は、一文字一文字慎重に丁寧に写されていて、書き手が「神の言葉」をそのまま残そうとした想いが伝わってきます。
死海文書は日本語に翻訳され、書籍化もされています。
2000年の昔から変わらない古代文書には、現代の私たちには思いも及ばないアイディアや発見があるかもしれません。
クムラン遺跡
そんな死海文書を写本した集団「クムラン教団」の居住跡が「クムラン遺跡」。
彼らの生活はどんなもので、なぜ死海文書を書いたのか、なぜこんな暮らしにくい場所で生きることを選んだのか。
なぜ、洞窟に写本を隠し、そして誰も取りに来なかったのか・・・。
世界不思議発見!の冒険に出かけてみても面白いかも知れません。
ここではクムランの歴史を紹介する映画の上映から始まり、発見されたクムラン教団の遺物の展示を抜けて、彼らが暮らした建物群の遺跡に向かいます。
そしてもちろん死海文書発見の洞窟の一つも眺めることができます。
ガイドつきツアーや夜間のランプライトツアーもあるとか!世界遺産「マサダ」も合わせて行くことをお勧めします。「人気の観光地「マサダ」の物語」
クムランの国立公園内には、レストランと充実したお土産ショップもあります。
入場料:大人29NIS / 子供15NIS
夏期 08:00 – 17:00
冬期 08:00 – 16:00(祭りによっては例外で13時までの場合あり。)
HP: Qumran Park
最後に・・・
私は何度か訪れているのですが、やはりこればっかりは歴史を勉強していったとしても、ガイドなしでは面白さ半減。いや、8割減。
できるならガイドありの少人数で訪れるのが一番おすすめです!
イスラエル最大級のプロジェクトマッピング
マサダのナイトショー “Masada from Dusk to Dawn” は、山の西側の斜面に投影されます。45分間のショーです。
「Shlomo Gronich」がこのショーのために特別に作曲した音楽とともに楽しむことができ、マサダとその英雄たちの物語に新たな息吹を吹き込みます。
開催日は、毎週火曜日と木曜日の日没後。(冬期は午後7時30分、夏期は午後8時30分または9時)
料金:大人50NIS、子供(5歳~18歳)40NIS(団体、マットモン会員、宿泊客には割引きあり)
キャンプ&登山
マサダの西側には、設備の整った大きなキャンプ場があります。
光のショーを観て砂漠で一泊した次の日は、早起きしてマサダに登り、日の出を見るのがおすすめです!
キャンプ場には、屋外バーベキューエリア(炭は含まない)ガス調理場、キッチン、冷蔵庫があります。
シャワールーム完備ですが、タオルと洗面道具は持って持参してね。コンセントもあるので充電もできます。
プライベートテントでの一泊キャンプの料金は、大人53NISから。
雑魚寝の大型テントやマットレスの貸し出し、5人で使うお部屋など、その他の料金は変動します。
アラド方面(国道3199号線)から登るルートだと、マサダ登頂は徒歩15分ほど。
”Roman Ramp Path”と呼ばれるローマの道は有料キャンプ場もあり、ナイトショーも楽しめます。
死海側からの道とは繋がっていないので車の人は要注意。
Roman Ramp Path(ローマの道/アラドから入る西側)は毎日日の出の30分前に開通し、閉館時間の15分前に下山。
アラドから3199号線経由でMasada West Campsiteを目指して!
エルサレムから車で2時間から2時間半ほど。
興味がある人はぜひ、「人気の観光地「マサダ」の物語」も読んでみてください。
世界遺産でもあるこの孤立した大地の絶景は、何も知らずに訪れる者にも異世界の興奮を与えてくれます。
日を遮るものの無いむき出しの斜面には、男性が並んで歩くには狭すぎる一本の小道しかありませんでした。
この小道は山頂までジグザグに続いていて、その見た目から「蛇の道」と名付けられています。
この難攻不落の要塞はヘロデ大王の建設です。
水道を通し、立派なローマ式の浴槽や巨大な食料貯蔵庫が完備され、遺跡に訪れるとその財力と技術力に、ヘロデがどれほどの力を持っていたのかが伺えます。
今回はそんなマサダのことを書いてみます。難しそうに聞こえるかもしれませんが、知って現地に行くときっと、景色が違って見えると思うのでぜひ読んでみてください♪
ユダヤ人国家存続、最後の戦い
さて、ここで起きた有名な事件「ユダヤ・ローマ戦争」。
なんだそれ?ですよね。
2000年近く前、かなり栄えていたヘロデ大王の死後、この地域はローマの支配下になります。
さすがローマ帝国。すごい軍事力で世界を制覇していってるわけです。・・・よね?笑
そんな時代にユダヤの民が起こした反乱が「ユダヤ戦争」。
この戦いの何がそんなに大事なのか!それは、このマサダの戦いこそユダヤ人国家存続の最後の戦い。
このマサダで、ユダヤの民は世界に散って消えたわけです・・・。
その期間は1948年の建国まで。つまり今のイスラエルが建国するまで!!
イスラエル建国後、このマサダに立った兵士たちの気持ち。
想像できるでしょうか?
一度でも国を追われ、祖国を失ったことのない私たちには、想像を絶する思いがあるだろうと思います。
しかも、散った先々で激しい迫害に合い続け、国のない苦しみをそのDNAに刻み込んでいる・・・彼らがここに立つ思いに心寄せていると・・・。
私なぜか涙込み上げてきた(なぜ)
このストーリー聞くともう、ほんとマサダが感動の山に変わるので、ストーリーテラー絶対必要!
マサダ最後のストーリー
西暦66年にローマ帝国との戦争が始まりました。
70年にローマ軍によってエルサレムが陥落し、神殿が破壊された後、女子供を含むユダヤ人残党967人がマサダに立てこもり、ローマ軍10,000人がこれを包囲しました。
その戦力の差、10倍!
ローマはマサダの周りに厚い石壁と、石垣を巡らした八つの陣地で取り囲み、頂上に至る土手を作り始めます。
これは長さが約200m、 高さ約55mにせり上がる人工の傾斜地。
その包囲跡と土手は、今もはっきり見ることができます。
圧倒的不利な状況にも関わらず、この籠城をおよそ3年。しかも悠々自適に続けた・・・と聞くと、このマサダ要塞の貯蔵の凄まじさに驚きます。
しかも、ローマ軍の記録によれば彼らが門を破って入った時、あと7~8年は耐えうる貯蓄量だったと記されているらしいのです。
しかし、ついにローマが扉を破って入って来る日がやってきます。
・・・つまり、イスラエル陥落の最後の晩。
彼らが選んだのは集団自決でした。
歴史家ヨセフスはこう記録しています。
「すべての者が家族を殺した。……残った者を殺す10人をくじで選び、各自は妻子のかたわらに横たわった。そして妻子を腕に抱き、この痛ましい務めを果たさなければならない者たちに自らののどを突き出した。10人はひるむことなくすべての者を殺し、今度は互いのために同じ手続きを踏んだ。……しかし一人の老女ともう一人……が逃れた。……女と子供を含め、犠牲者の数は960人に上った」。
その自決の方法は壮絶なもので、イスラエルに住む私には考えられない結末でした。
お父さんが自らの愛する家族を殺す・・・?
日本には言わずと知れた「切腹」の文化があり、戦時中も国のために命を落とすことに賞賛すらあった珍しい国なので、ピンとこない人もいるかもしれませんが、ユダヤの民に自決はありえないんです。
どんな場合でも、決して諦めずに最後まで生き抜くことが民族としての誇り。
自ら死ぬことは禁忌とされています。
私はこの国に訪れた時、一番驚いたのが、仲の良い家族の姿、父と子、夫婦の麗しい姿だったので、マサダのストーリーには体が震えました。
国を永遠に失うかもしれない夜、愛するものに手をかけた男たちの心を思うと・・・。
そして、「マサダは2度繰り返さない」とイスラエル国防軍の入隊式は、このマサダ頂上で行われます。
”国家への忠誠と、最後まで諦めず生きることを、愛するものを守ること”を誓うそうです。
最後に・・・
「イスラエル軍はマサダの記憶があるから、例え世界中から批判を受けようと、愛するものを守るためなら先制攻撃を恐れないんだ」と友人が語ってくれました。
そして命に、生きることに固執し、最優先する。
イスラエルの命にこだわる思いの根底には、このマサダで国を一度失った記憶があるのかもしれない・・・。
私は何を優先に生きているだろうか、と考えます。経済や自分中心に生きてやしないかと自問自答しました。
この記事はコロナ禍のロックダウン中の街で書いています。
国を守る、命を守る緊急事態の時にこそ、それぞれの心が剥き出しになる・・・。
命最優先で突き進むイスラエルを生で見ながら、愛する祖国日本を思っています。
西岸地区に行けるの?!
あの、暴動とかロケットとか!あの紛争地帯?!
そう。日本のメディアでは紛争地帯でおなじみの西岸地区です。
パレスチナ問題!いったいどうなっているんでしょうか?
今回はそんなナブルスへのアクセスや見どころ、注意してもらいたいことなどをまとめてみました。
現地の友人に連れて行ってもらいました!
アラブのバスを乗り継いで・・・
私たちはエルサレムのダマスカスゲート前にある、アラブのバス乗り場からラマッラまで向かって、そこで乗り換え!
突然英語が通じなくなるので、乗り換えバスにはドキドキしましたが、使った単語は「ナブルス」だけ。笑
私たちが会った人は、みんな親切だったことにびっくり。
時々「そんなバスは無いよ!」と言われてチェックポイントまで行き、徒歩で渡って向こうでシェルートを捕まえたこともあります。
もっとアラビア語勉強しなきゃな・・・。
一度、アラブのレンタカーで行ったこともあって、その時は街中にいくつか駐車場もあり、アクセスもよく便利でした!しかもとっても安かったので安心です。
駐車場は必ず地点登録を忘れずに〜笑。アラブの街って本当にどこもよく似てる!
あ、それと!パスポートと入国カード(青い紙)を忘れずに!帰れなくなります。
アルコールティッシュは衛生面心配な方は必ず・・・。そしてお腹のお薬も一つは持っていくと安心。
通貨はイスラエルのシェケルだよ〜!
見どころ
この街は聖書にはアブラハムの住んだ「シェケム」として登場。
古代からの重要な街の一つです。遺跡も近くに多く、旧市街もあります。
現在はアラブ人たちの街で、西岸地区の奥ふかく、笑顔で暮らす生き生きとした姿に出会えます。
観光客が少ないからでしょうか?目が会う人たちが「ようこそパレスチナへ!」と笑顔で気さくに声をかけてくれます。
活気のある市場のお野菜は新鮮!羊も新鮮。
しかも、価格が安いです。スパイス類はこちらで買うことも多い!
そして、忘れてはならない特産は「オリーブ石鹸」!
ここのオリーブ石鹸はこんなに安くていいの?というくらいのスーパーオーガニック石鹸です。
洗い上がりのさっぱり感を味わったら、他は使えない!と友人からいつもお土産を頼まれます。「ナブリスの100%オリーブ石鹸」
もう一つ、ここで忘れてはいけないのが、中東でおなじみのスイーツ「クナーフェ」。
ここナブリスが発祥の地だそうで、私は今までそんなに好きでは無かったのですが、ナブリスのあるお店に出会って、イスラエルで一番好きなグルメになりました!
チーズ好きな人に向けて記事上げておくのでぜひ試してほしい〜!
遺跡
ここにある遺跡で有名なのは
・ヤコブの井戸
・ヨセフの墓
・テルバラータ(古代シェケムの街の遺跡)
・ゲリジム山
・サマリアミュージアム
こちらはまた別で記事を載せることにして、今回は街の様子を紹介します。
ナブリス旧市街
迷路のように所狭しとお店と住居が詰まっている地域。
古く寂れているようなのに、人々の活気があって不思議な雰囲気です。
ここにくると色々爆買いしてしまう・・・。
おすすめはこの香水?屋さん。
覚えたアラビア語を使ってみたくて自力でお買い物に挑戦!全然通じない!
けど、グーグルトランスレーターで身振り手振りで楽しい。いっぱい笑いました。
陽気で楽しい人たちです。
1瓶20NISでお気に入りの香りをゲットできました!お気に入り!
こちらの人たちってみんな中東のいい香りするなーって思ってたんですよねー。
新市街
ここにも市場やお店が多くて、見るものはいっぱい。
お昼を食べるならここだよ!と現地の人が教えてくれたお店がこちら。
有名店らしい。うん。普通にうまい!
帰りのシェルートでびっくりしたのが、アラブ人たちの運転テクニック。
嘘でしょ?というスピードでせっまい路地を駆け抜けてました。こんな道私は絶対無理!笑定員超えていても、床に座ればいいと乗せてくれたし!笑
そうそう。
前に駐車していたら、前後にぴったりと縦列駐車されていて、こんなの絶対出られないよ・・・と途方にくれたことがあったのです。
通りかかったアラブ人男性に助けを求めたところ、見事に出してもらったことがありました。
後ろの車との距離、ミリでしたからね!!無傷だったことが謎すぎる!本当に車体感覚どうなっているの?
そんなナブリス(どんな。笑)、知ってみるとまた違った見方があるかもしれません♪
注意してほしいこと
現地のガイドに同行してもらってください。アラビア語を理解する人であることが条件です。
万が一、暴動に遭遇するようなことがあった場合は絶対に撮影をせず、すぐにその場を離れてください。
女性だけでの渡航を避け、肌の露出を最小限にし、男性に誘われてもついていかないよう注意してください。
むやみに住人を煽るような政治的な発言をしないこと。
また、イスラエルの空港を利用する場合、西岸地区へ渡航したというと、別室で取り調べが行われます。
西岸地区は、テロリストを多く排出していることも事実であり、イスラエルの撲滅を公式に掲げている国です。
イスラエルとの関係は非常に複雑で繊細な問題であることをご理解ください。
西岸地区への渡航は、ご自分で安全を確保し、全て自己責任で行ってください。
イスラエルも、等サイトも、西岸地区内での一切のトラブルについて責任を負いません。
ナブルスは、エバル山とゲリジム山の山間に古くからある街。
歴史に登場した頃から、オリーブやぶどうの交易が盛んであったらしいく、今でもパレスチナの商業と文化の中心。
そしてこの街の美味しいものにはハマる。味付けが絶妙です!
ゲリジム山は聖書に出てくる「祝福の山」として有名で、現在はアラブ人と、数少ないサマリヤ人が暮らしています。
今回はそんなナブルスの観光が楽しくなる、このまちの歴史をさらりとおさらいしたいと思います。
始まりはおよそ4000年前
ナブルスが歴史上最初に登場するのは、ヘブル語聖書「創世記」。
初めは「シェケム/Shechem」という名前でした。
アラブ人とユダヤ人の祖「アブラハム」がこの地方にたどり着いて、最初に住んだ場所です。
当時はすでにカナン人が住んでいたと書かれていますが、聖書には神がアブラハムに「あなたの子孫に、私はこの土地を与える」と約束したことが記述され、信じられています。
アラブ人もイスラエル人もアブラハムの子。仲良くできる日がくるといいなぁ。そんな簡単な話じゃないんですけど・・・ついそう思っちゃう。
孫のヤコブが土地を買取り、今でもヤコブの井戸が存在しているとか!
このヤコブさん、途中で名前が「イスラエル」に改名される人です。
イスラエル時代
聖書の中でも度々登場する重要な街であったようです。
出エジプトを果たし、イスラエルに戻ってきたユダヤの民は、ヤコブの息子「ヨセフ」の遺体を運んできて、この地に埋葬しました。
今でもヨセフの墓があって、行くことができます・・・すごい。
イスラエルの王国が分裂し、北王国となってから1世紀ごろまで、サマリア人(イスラエルの北王国の人たち)が住んでいました。
南王国(エルサレム)のユダヤ人たちとは同じ聖書、同じ神でありながら、異なる文化の発展があり、興味深いです。
このサマリア人の末裔は、今も聖地ゲリジム山を中心に暮らしていて、会うことができます!
古い伝統や祭り、失われた古代ヘブライ語の音を継承しておられるとか・・・。
キリストが活躍していた当時にもこの街の記述は登場し、新約聖書でも出てきます。初期のキリスト教徒もここに住んでいたようです。
ローマ時代
紀元6年には、シェケムはローマ帝国のシリア州に併合されました。
ユダヤ・ローマ戦争の一部、「ガリラヤの反乱」(67年)の際にはこの地域のサマリヤ人もゲリジム山で武装したとか。
しかし、その戦争の時にローマのセレリスによって破壊されたと言われています。
72年に、ローマ皇帝ヴェスパシアヌスが旧市街から2kmのところに、フラヴィア・ネアポリスという町を建設。
この辺から激しい戦いがあり、この地独特の複雑な歴史が展開されます。
ゲリジム山には、サマリア人、ローマ人、キリスト教徒たちが次々神殿や教会を建て、今でもその複雑な遺跡を山頂にとどめています。
イスラム時代
イスラム勢力によって制圧され、モスクが次々と建てられます。
ウマイヤ朝時代に「ナブルス」と改名されました。
十字軍時代
1099年頃、十字軍が制圧。
キリスト教勢力がこの地を収めたので、キリスト教徒やサマリア人のコミュニティーが再び復活します。
イスラム時代2
イスラムが再び制圧。
サラディンがやってきます!
エルサレムを制圧したイスラムの英雄として有名ですよね。
この頃はイスラム支配の元、ユダヤ・キリスト教共に共存していた模様。
19世紀後半から現代
オスマン帝国が破れ、イギリスの支配が始まり、現代イスラエルが建国され、西岸地区として分断されることになる近代史です。
このあたりの歴史は複雑で非常に不透明です。
何がどうなっているのか難しく、現地の人たちですら、場所によって全く別の歴史観を持っています。
私はここで偏った意見を提供したくありません。
ネットには双方の意見が乱れ(不思議なことに日本語だとパレスチナ寄りの見解が強い)、収拾がつかないのが現状。
歴史ってそういうものかもしれませんね。勝者が歴史を作っていく・・・。
未だこの地にどちらかの勝利というものは訪れていない。
「紛争地帯」ってそういう意味だったのか、と平和に美味しいものを食べながら納得する私・・・。
この国の歴史の不思議さは、世界の問題を凝縮しているようだと感じること。
今後も注目して追いかけていきたいです。
最後に・・・
無責任な外国人の私は、この場所で人間の戦いの「歴史」を生々しく感じました。
今知っている歴史も、そうだと信じているものも、全く的外れなのかもしれない・・・。
この地にも憎しみや怒りがあり、問題はあります。
それでも生活と日常があり、選べない環境の中でどう生きるか?という課題は誰にだって当てはまる。
日本でいえば、日韓の問題は、パレスチナ問題同様、根深く難しいと感じています。
平和な国だと自負はあっても、自殺者の数だけ見れば説得力がありません。
イスラエル、パレスチナは紛争地帯!とメディアはイメージだけを煽るけど、そこから一歩踏み込んで学ぶかどうかは自分次第。
勉強の苦手な私でも他国の問題から学べることは多かったです。
※西岸地区に行く時は必ず現地の情報を確認してご自身で判断してください。「注意!西岸地区へ訪問する前に必ずチェック!」
2000年の昔から変わらない自然製法の「Nabulsi石鹸 」
ナブルスのオリーブ石鹸はアラビア語で「サブン・ナブリシー」。
100%天然ものの手作り石鹸が、安く手に入る機会は逃せません!日本で買ったら何千円します・・・。
主な成分は、バージンオリーブオイル、水、アルカリ性ナトリウム化合物。(地元の石灰とヨルダン川のほとりに沿って成長するバリラ植物の粉末灰を混合することによって作られています)
完成品は自然の乳白色か、茶けたオリーブ色で、ほんのり自然の香りがします。
香料を一切使わない天然物の証!
着色料、香料、添加物、合成成分、保存料、発泡剤を含まない安全な石鹸の魅力は、環境に害を与えないことだけではありません。
肌の自然なバランスを整え、皮膚の自己治癒力を引き上げる助けになるとか!
私の友人は子供達のお肌のアレルギーに悩む2児の母なのですが、この石鹸をお土産にしたところ「カートンで買ってきて!」と言ってくるほど。
使い心地はサッパリとしていて、それでいて洗い上がりしっとり。使った直後から違いがはっきりわかります。
石鹸カス入りの水をお花にやっても問題ないほどナチュラルで、動物にも優しい!
ここナブルスも、イスラエルも、石鹸にはかなりこだわりが強いイメージ。 さすが古代からのオリーブの国です。
いいものがたくさんあるのでぜひチェックしてみてください!
おすすめしたいナブルスの石鹸屋さん
「Albader Soap Factory (Alnabulsi Soap Factory)」
オリーブ石鹸の値段、なんと1つ、5シェケル(150円)!!
嘘みたいな値段です。
ヤギの乳入り石鹸(10NIS/一個)もしっとり感マシマシなのでおすすめ。
目の前がおすすめのクナーファ屋さんなので合わせて行ってみてね。
道端で売られている、いかにも手作り!な雰囲気の石鹸。
どれも天然ものではありますが、泡立ちが微妙なものもあるので要注意。
香りはナチュラルなオリーブ油の匂いがします。
真ん中の判子の模様が見分けるコツ!寅やラクダ柄などありますが、私はこのハンマー2つの石鹸がおすすめでした。見た目ボロボロだけど(笑)
色も白くないけど、今のところ、洗い上がりはこれが一番です。
ハンマーの石鹸を代々作っている工場の青年。
彼は昔からの石鹸づくりを紹介すべく、手作りの見学用看板を貼った工場を周りながらガイドしてくれました。
なんかとても素敵だった。
平和の架け橋!日本でも買えるナブルス石鹸
「Sindyanna of Galilee」はアラブ人とユダヤ人の女性たちが、平和的共存を掲げて奮闘している会社です。
日本でもネットでの取り扱いがあるみたいだよ。
ナブルスに出かけた際はぜひオリーブ石鹸をお土産に~!
※西岸地区に行く時は必ず現地の情報を確認してご自身で判断してください。「注意!西岸地区へ訪問する前に必ずチェック!」
2000年前の井戸がある修道院
ヤコブの井戸/Jacob’s Wellは現在、東方正教会の修道院。
会堂の中から地下に行くと、2000年前からヤコブ(アブラハムの孫)の井戸と信じられている古い井戸を見ることができます。
ユダヤ教、サマリヤ人、キリスト教、イスラム教にとって大切な聖地の1つ。
330年頃にはイエスがサマリヤ人の女性と会話をした場所として特定されていて、キリスト教の起こった初期から教会が建っていたことがわかっています。
その後、サマリア人の反乱、十字軍、ビザンチン時代、サラディンのヒッティンの戦い、を経て、イスラエル建国後はキリスト教徒とサマリア人の間で争いの元に・・・現在はギリシャ正教会が管理しています。
女性は露出が高いと中に入れません。袖のある羽織を忘れずに!
この井戸。
未だに水を汲んで飲むことができる・・・という驚きの井戸です。(注意:お腹壊すかもです)
聖書に出てくる街
テル=バラータ/Tell Balata は、古代カナン人・イスラエル人の都市の遺跡で、ユネスコの「パレスチナ自治区の潜在的に顕著な普遍的価値を持つ文化・自然遺産の目録」に登録されています。
その時代は5,000年前の石器時代と青銅器時代にまでさかのぼり、聖書に出てくる「シェケム」の街とされています。
ヤコブの井戸の教会から徒歩30分 。
めちゃめちゃマニアックな聖地「ヨセフの墓 」
ヨセフはそもそもアブラハムの曽孫で、エジプトの宰相にまで上り詰めた人物。
彼はエジプトで亡くなりますが、かの有名な「出エジプト」事件の時に、遺体を故郷へ運ぶように遺言を残していたため、子孫がイスラエルまで運び込み、この地に葬りました。
エジプトでいうところのミイラなんでしょうか・・・。
ここは最近でも小競り合いがあったり、爆発物が仕掛けられていたり・・・と穏やかではない場所なので、常に警察が管理しています。
目の前に交番?がありお願いすると同伴で入れてもらえました。
地図にはない(座標:32.21328°N 35.28506°E)
祝福の山
ゲリジム山/Mount Gerizim は、聖書に登場する「祝福の山」。
サマリヤ人の聖地で、イスラエルの国立公園の1つ。
サマリア人は今でもこの山で古代と変わらない過越しの祭り(ペサハ)を祝うことで有名です。
山頂にはヘレニズムの遺跡もあり、サマリア人の文化を学ぶショートムービーも用意されています。
サマリア人の祭司に会いに行く
代々受け継がれてきたサマリア人の大祭司が、少なくなってきたサマリア人の文化を紹介しようと建てたサマリアミュージアム 。
個人の小さな施設ですが、非常に充実していて、祭司自らガイドをしてくれます。
ユダヤ教の一派ではありますが、その歴史はすでに2000年を超えるもので、彼らが継承している古代ヘブライ語の音は、現代のものと違う響きを持っています。
半音のズレも許されず、幼い時から父から子へと練習を繰り返して継承されてきた言葉には、何か不思議な力まで感じてしまいそう。
ゲリジム山に登る途中にひっそりとあるので、サマリア人の祭司に会いに行くのはおすすめです。
威厳があっても気さくで、アラビア語、ヘブライ語、サマリア語を操り、この地で共存しながら伝統を守っている姿が素敵でした。
祝福の山のワイナリー
ここは行ってみたい場所なのでメモ。笑
友人が教えてくれたワイナリーで、素敵なレストランらしい!
空いてる時間帯にばらつきがあったり、貸切もあるみたいなので、事前に電話で確認した方がいいみたい!
ゲリジム山とサマリアミュージアムは、イスラエルのレンタカーでも訪問できるので、その時のランチにでも◎
訪問が叶ったら記事更新します!
※西岸地区に行く時は必ず現地の情報を確認してご自身で判断してください。「注意!西岸地区へ訪問する前に必ずチェック!」