テント生活をする祭り?!スコット

テント生活をする祭り?!スコット

全国民がテントで生活?のお祭り「スコット」

今から約3,300年前、イスラエルの民はエジプトの奴隷から解放され、自由を得て、モーセに導かれ荒野で生活をしました。その時の荒野での仮庵生活を覚え、祝うお祭りが「スコット」です。

ヨムキプールが明けると、町中に仮庵が次々と現れ、一週間仮庵で生活しながら祝います。

イスラエルの9・10月のお祭りの記事を順番に読んでいる方は気がつくと思いますが、この時期のお祭りは全て繋がっています。

400年も奴隷だった民が、自由になる。というのは、喜んでばかりもいられません。染み付いた奴隷根性はそう簡単に自覚すらできませんから、矯正も難しい!

自由にされ、神の民と呼ばれるにふさわしく、人としての在り方を学び、自分の頭で考え、行動に責任を持つ生活をする民へと、生き方を変えるのです。この訓練のような40年間を、エジプトを出てから約束の地(イスラエルの地)へたどり着くまで、荒野を彷徨ったのです。

それは、「自由」とは何か、「自由」を楽しむとはどう生きることなのかを知り、失敗しながらも体に叩き込んでいくような時間。人間って意外と「自由」を持て余すんだなって思うようになりました。時間が余るとロクなことしない・・・笑

ヨムキプールの断食が明けると、街中のベランダや歩道、空き地に手作りの掘っ建て小屋が次々と現れます。

イスラエルの祭り全てに言えることですが祭りを祝うのは子どもたちのため。

1000年の単位で父祖たちが得てきた膨大な知恵と生き方を、子どもたちは祭りを楽しく体験しながら自然に身につけます。

思い思いに「スッカ」と呼ばれる小屋の中を飾り、祭りの期間はこの中で飲食します。

なかには寝泊まりまでする子も!

子ども時代にこんなのあったら完全に秘密基地ですよね!それにここでご飯食べたりって、ワクワク止まらない!夢のようだ…。

この期間はレストランやカフェもスッカ仕様に!

スコットのマーケット

この時期だけのマーケットが開かれ、ユダヤのお父さんたちがバーゲンセールの女性のようにひしめき合います。みんな超真剣!

買っているのはスコットの祭りに欠かせない4つの「植物」

・etrog (シトロンの実)

・lulav (ナツメヤシの若葉)

・three hadassim (ミルトス/ギンバイカの小枝)

・and two aravot (柳の小枝)

スコットではこの4つの植物を一つにして、神を賛美する歌を唱え、振ります。

あるラビが、これは何を意味しているかを説いていたのですが、とても感動したのでシェアします。

Photo by:https://images.app.goo.gl/vhgziJpU4NCAvQhP7

”シトロンは香り高く、味も良い。

ナツメヤシは香りは無いが味が良い。

ミルトスは香りは素晴らしいが、味はない。

柳は香りも味もない。”

これは、神への信仰と聖書の知恵を身につけていることを「香り」に、良い行いとその結果を「味」に例えていて、

「知恵もあって、良い行いもある人」

「知恵はあるけど、良い行いがない人」

「知恵はないけど、良い行いはある人」

「知恵もないし、良い行いもない人」

…という具合に、4つのタイプの人間を表すのだとか。

肝心なのは、どれが良くて、どれがいいとかいうことではありません。

その全てを一つに束ねて”一緒に振る”という行為。

全ての人が共に神を讃え、礼拝する。共に生きる。ということ。

自由な民、一つの国民となるとはそういうことなのだ・・・と。

味も香りもないからと言って捨てない…イスラエルの民の心を垣間見るような気がしました。

しかーーし、後世に始まったスコットの最終日「ホシャナラバ」で、柳の枝(知恵もないし、良い行いもない人に例えられる植物)を床に叩きつける習慣を見て「えーーー」となる私。笑 ドユコト???

ここでもう一つ。

”シトロンを心臓、ミルトスを目、ナツメヤシを背骨、柳を口、として、それぞれの植物で人間の各部分を表している”とも聞きました。(ユダヤ人は全身を神に捧げる姿勢を示しているとか。)

あー、なるほど。イスラエル人ってお喋り好きで、口はいつも賑やかなので特別に叩いている…のかな?笑 なんて笑ってしまいました。

このスコットの期間にもイベントは多く、スコット中のツアーに参加した時には、ランチをスッカの中で食べるという素敵なイベントも!

私が訪ねた家のスッカの中には20羽くらいのインコたちが!食事中ずっとさえずっていて素敵でした。

また、ダンスに巻き込まれたことも…

みんな集まりの終盤には男女それぞれ和になって皆ぐるぐる踊り出すのです!全力で!!力の限り!!もちろん聖書の知識もない、聖書のルールも守らない外国人の私たちだって大歓迎して仲間に入れてくれます。そう。4つの植物を一緒にして振るように・・・・

会場に音楽と笑いが溢れ、めちゃくちゃ楽しい空間に巻き込まれ、それはほとんど嵐!喜びの嵐です。

「シムハットトーラー」トーラー授与の日

写真のコンセントみたいなのはトーラー(聖書)の巻物(大きい・・・)

スコットが終わった8日目と9日目には、「シムハットトーラー」というお祭りがあります。

ユダヤ教徒は、世界中どこにいてもシャバット(安息日)に読むトーラーの箇所は同じで、1年で一周するように読まれます。

写真はシムハットトーラーの2日目(1日目は撮影禁止です)

この日は巻物を読み終え、また新たに読み始めるため、トーラーの巻き戻しをする日です。

トーラーは彼らにとって、神が与えてくれた最大、最高のプレゼント。神のことばであり、知恵の結集。

そんな彼らの喜び方と情熱にはいつも驚きます。

各シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や西壁には信じられない数のユダヤ教徒が集まり、トーラーの巻物を抱えてダンスに次ぐダンス!大いに喜びます。

彼らのトーラーに対する想いはそこ知れず熱い。

仕事そっちのけで、1ヶ月間のスーパーホリデーを全力で楽しむイスラエルの姿、世代から世代に記憶と知恵を継承し、過去に生きた父祖たち、そして未来の子どもたちもひっくるめて大きな家族として共に喜ぶ姿勢。この国ならではのお祭りの祝い方にイスラエルの命を感じます。

イスラエルのお祭りが食卓で行われることや、家族で過ごすことを何よりも喜ぶ姿、何とも楽しそうな子どもたち、満ち足りた笑顔の数々は、見ていて妬みが起きそうなほどに麗しい!!!!!喜び上手!楽しみ上手!

自由の使い方うまいなぁ。と唸ります。3300年修行を繰り返していると思えば、スキルの差は歴然なのかも・・・笑

新年の「ロシュハシャナ」から10日後、イスラエル最大の静寂の日がやってきます。

ユダヤの伝統では、神はロシュハシャナとヨム・キプール(大贖罪日・だいしょくざいび)の間の10日間の間にすべての被造物を裁き、来年、生きるか死ぬかを決定するとされています。なんだか・・・恐い・・・・

ユダヤ教の教えでは、神が正しい者の名前を「いのちの書」に刻み、悪人には死を与えるとされます。

そのため多くのユダヤ人たちはこの10日間、特に祈りと善行、過去の過ちを反省し償いをする期間と考えて行動します。祭りではありますが、命がかかっているとなると遊びじゃありません!真剣そのもの。

宗派によっては40日前からヨムキプールに向けて祈っている人もいるとか。

ヨムキプールは「贖罪の日」という意味です。

約26時間、神への祈りにのみ集中するため、インターネットは使わず、飲食をひかえ、革靴を履かず?!化粧水やクリームを塗ったりもせず?!入浴もせず!!!洗濯もせず!!!!夫婦の営みを避け、水さえ飲まない断食をする人もいます。(守り方は千差万別)

そして、シナゴーグでひたすら赦しを求めて祈りながら一日を過ごすとか…

さて、日本人の私たちが「裁かれる」とか「罪を悔い改める」と聞くと、法律を犯すこと、犯罪者のことを思い浮かべませんか?「私は善良な市民なので、悔い改めは必要ない。」と思いそうですが、聖書の言う「悔い改め」はそうではありません。

この期間、ユダヤ人たちは家族や友人に、「去年1年間、あなたを傷つけたり、悲しい思いをさせていたらごめんなさい」と言い、言われた方も「もちろん許すよ。私のことも許してくれる?」と、互いに言葉をかわします。

「あるべき姿ではない」ことが聖書の「罪」

神が人を作った目的や意図を無視していないか?ということを思いめぐらし、悔い改めるのです。

他人を許しているか?許してもらったか?

自分だけのためにお金や時間を使って生きてはいなかったか?

平和であろうとしたか?

助けを必要としている人を無視しなかったか?

与えられたものに満足し、喜び楽しんだか?

などなどなど・・・・

聖書の教えに耳を傾け、自らの魂に問い、悔い改めのアクションを起こす。国中の人たちが、この悔い改めの期間を祭りとして過ごすなんて!

私もヨムキプールに参加してみました。

驚いたことがいくつか…

・空港は閉まる。信号機も止まる。(昼間もですよ?!そんな馬鹿な!!!!)

・車が本当に一台もいない・・・。

・歩行者天国状態の道路にスケートボードや自転車、おもちゃの車で遊びまわる子ども達で溢れる。

・断食前後の食事が信じられないほど高カロリー。油と糖分しかないのでは?!(日本人の友達は胃がびっくりして吐いていた。)イスラエル人の胃は強い。

例え観光での滞在であったとしても、この日にはタクシーを呼んだり、車を運転したりしないよう、要注意。この日だけは、道路の支配権は子どもたちにあります。笑

夜は、みんなでのんびり西壁までお散歩。不思議な静けさにドキドキしました。

日本のお祭りとは全く違う感覚。

国中が一つになって、まるで土地そのものが悔い改めているかのよう。全身で、全国で、神に向かう民だなぁ・・・・感じたことの無い「畏怖」に言葉が出ません。

この日は撮影をしない日、西壁やシナゴーグではシャッターを切ることはできません。

じゃあここにある写真はなんなのか……知らなくて、うっかり撮っちゃったんです。

でも、誰かに責められることもなく、指摘もされず、気づいたのは翌年。冷たい視線すら感じなかったんです。

ヨムキプールは他人の間違いや、失敗を責めるのではなく、許すこと、そして、自分の在り方を悔い改め、どう生きるかを問うことに関心があるのか。と思いました。他人の失敗や無礼や間違いなんて興味もない。それがこの祭りなのかと理解した時は鳥肌で、これが根っこにあることが、この国の美しさを作っているのかもしれない・・・と思いました。

(※西壁の写真だけは許可されている別日です。)

そんな特別な空気感が漂う時期ですが、交通機関もお店も動いていないので、旅行の日程には注意してください。でも、一度は体験して欲しいなぁ。