イスラエルにとって大切な週
イスラエルにとって大切な週
記憶は国の力
ホロコースト記念日、戦没者記念日、独立記念日と、イスラエルに降りかかった厄災、失われた命を覚え、記憶する「祭り」が続く1週間。記憶と追悼の週。
イスラエルが「何かが違う・・・」と感じるのは、彼らが単に喪に服し、痛むための日ではないからでしょう。
イスラエルでは、「記憶」が国を一つにしていく力であり、子供たちが未来を生きていく力である、と捉えています。ですから、「祭り」を「記憶の継承」と訳した方がいいかもしれません。
亡くなった一つ一つの命と記憶(記録・歴史)を、国の宝として継承します。
歴史を歪めることなく記録し伝えるため努力し、自らを哀れみ、かわいそうだと思い込むような 被害者意識を育てるのではなく、「記録」と「記憶」が未来を建てあげる力となるよう育てることを大切にしています。
過去を忘れてしまうのでもなく、だからといって恨むのでもなく、良い未来に進んでいくための土台として残す。
とても難しいことなのですが、そうあろうとする姿勢が垣間見える週です。
イスラエルの心を肌で感じる期間が、毎年4-5月にやってくる3つの記念日。
・ホロコースト追悼日[ヨム・ハショア](4-5月 独立記念日の8日前)
・戦没者記念日(4-5月 独立記念日の前日)
・独立記念日(4-5月)
深いテーマではありますが、今回はこの3つの記念日についてなるべく簡単に紹介します。
ホロコースト追悼日(ヨム ハ ショア)
写真はエルサレム旧市街のシオン門のそば、シオンの丘にある「ホロコーストミュージアム」
この日は、ナチスドイツのユダヤ人絶滅計画のために亡くなった600万人の同胞・家族たちを覚えます。
毎年公式の祭典が行われる他、失われていく生存者の声を残そうと様々な取り組みが行われています。中でもミュージアムで有名なホロコーストの研究機関であるヤドバシェムでの取り組みは、亡くなった一人一人を洗い出す途方のない作業。
しかし、それこそが命に焦点を当てるイスラエルの姿勢です。被害者意識ではなく、痛みや悲しみではなく、彼らがどう生き、またどう死んだのかその記録を残し、記憶する。
そして私たちはどう生きるのか、子供たちをどう生かすのかを問います。また個人でも、記憶するという意識は高く、各家庭、親族、学校でもさまざまな形でこの週にイスラエルの命のあゆみに触れます。
photo by:www.facebook.com/ramathsaronmunicipality
近年広がりつつあるのは、「zikaron ba salon」(記憶のリビング)と言うオープンハウス。
ホロコーストサバイバーのいるお家や、その子供たちの家に集まり実体験を聞く、という取り組み。(申し込めば参加できるそうですが、ヘブライ語がメインです。)
独立記念日の8日前に当たる日で、全国で定刻に黙祷が行われ、レストランやカフェも閉まります。
この日から7日間は娯楽施設は休館し、ラジオからは陽気な音楽は流れず、国中が喪に服します。
戦没者記念日(ヨム ハ ズィカロン)
ホロコースト追悼日から7日目に戦没者記念日があります。
この日は、イスラエル建国当初から亡くなった多くの家族・同胞のことを覚えます。
イスラエルでは、戦争で亡くなった人はその地位に関わらず、「へルツェルの丘」へ埋葬されます。命の重さがみな等しく平等であることをいつも感じます。
この場所は現代イスラエル建国の父、「テオドール・ヘルツェル」の眠る丘で、ホロコーストミュージアム(ヤドバシェム)の隣に位置し、建国への思いが詰まった緑豊かな美しい森です。
両記念日には、娯楽施設の他、レストランやカフェも閉まり、ホテルではお酒の提供をやめます。
私の隣人のおじいさんで仲良しのYさんが、ある5月の気持ちの良い日にヘルツェルの丘へ連れて行ってくれました。
ピクニックでもしたくなるような美しい丘。
自然の森の中に緑と花が丁寧に手入れされ、穏やかで爽やかな風の吹く、気持ちの良い場所でした。
そこに並んでいたエルサレムストーンと植木。
ここにあるお墓には、一つ一つに、故人の好きなものや花や木が溢れ、賑やかでカラフルで、イスラエル人だな〜と微笑ましくなります。

友人のYさんは、31才の息子、エマヌエルを亡くしました。
空軍の優秀なパイロットでした。
訓練中、一緒に乗っていたパートナーのパイロットが気絶。最期の瞬間まで諦めず、仲間に声をかけ続けた…そんな勇敢な姿が記録されていたそうです。
お墓へ一緒に行くと、椅子を並べて座り、彼の最期の姿、その時の家族の思いを語り聞きます。
キンカンの木が植わっていて、大きく成長し、実をつけていました。Yさんはそれをいくつかもいで、水で洗い私たちに手渡しながら語ります。
頬張るとみずみずしくて、ハッとするような美味しさ。
見るとあちこちに椅子があり、ああ、それぞれのストーリーをここでゆっくり語り、記憶しているのだなぁ…とわかりました。
Yさんは、「飛行機事故で亡くなった息子もここに埋葬してくれたんだ。息子も国の誇りとして扱ってくれたのだ」と、イスラエル軍の態度に誇りを持っていました。
彼の深い悲しみの中には、怒りも憎しみも感じられません。
「軍へ行けば今でも息子を忘れず、私に声をかけてくれるんだ。」と誇らしげに、そして「イスラエルは、たった一つの命も小さいものとして扱わない。」そう語ってくれました。
子どもたちを軍に送り出す気持ちはどんなものなのでしょう。
イスラエルが今このように存在し続けているのは、イスラエル軍が勝ち取ってきたから…今も守っているからであることは間違いないのです。

ふと気が付くと、並ぶお墓に刻まれた年齢は19才…21才…25才…19才…
うっかり泣きそうになりますが、、、家族を見るとそうじゃない。
写真が飾られているお墓には、彼らの笑顔が輝き、ただ悼むだけで終わらない、絶対忘れないけれど、前を向いて希望を繋いでゆく、未来を感じさせる場所です。
国中に響き渡るサイレン

ホロコースト追悼日と戦没者記念日には、朝とお昼の2度、国中にサイレンが鳴り響きます。
この時、車に乗っている人もバスに乗っている人も外に出て、街中の人がその場に立って頭を垂れ、または敬礼し、黙祷を行います。

その景色を初めて見た時に感じた感動は魂に焼き付いています。
サイレンがなる直前まで何も変わらないイスラエルの賑やかな日常。その全てを止め、町中にサイレンの音だけが響き渡る瞬間、この国のバラバラなのに一つという奇跡を目の当たりにします。
イスラエルが大切にする「記憶」は、敵への恨みや憎しみではなく、いつも命への姿勢です。
難しい問題を山のように抱えていますし、綺麗事ばかりではありません。
しかし命を最優先する心がそのベースにあることは確かで、こんな姿を見るたびに、イスラエルに惚れてしまいます。
独立記念日(ヨム ハツマウート)
一週間の喪が明けた晩。戦没者記念日の晩です。
晩ですよ?さっきまで喪に服していたはず。(※イスラエルのお祭りは、全て夜から始まります。)
どこからともなく漂ってくる炭火焼の肉のいい香りと、ワインを飲んだり賑やかな声、陽気な音楽が聞こえてきます。
「独立記念日」です。
初めて体験した時は、全く心がついていかず、大いにビビりました。切り替えの速さ!!!!!エルサレムの至る所でライブが始まり、歌い踊る群衆。
フジロックってこんな感じなんじゃないだろうか…(行ったことはないけど)
この切り替えの速さも、イスラエルの強さの秘訣。いつまでもうじうじしない。悲しむ時に悲しみ、喜ぶときに喜ぶ。このメリハリが、負の感情や不安に負けない、希望を持ち続けるイスラエルのあり方です。
次の日のお昼にもなると、街中の芝生という芝生の木陰にBBQセットが並び、国中が肉の焼ける香ばしい煙に包まれます!どこに行っても炭火焼きの匂い!!
この光景は圧巻。(いつその大量の肉を買っていたんだ。)
2年目以降、私もBBQを楽しみました。
イスラエルの持つ特徴はこの命に対する考え方、「記憶」と「喜び」にあると思います。
悲しみに取り込まれず、与えられている命を喜び、楽しみ、満喫する生き方。
失われたもの、痛みを決して忘れないし、誰よりも記憶して語り継ぐけれど、そこで生きる喜びを絶対失いません。
いや、むしろ更に喜びを増し加えて、悲劇に勝利しているように感じます。
独立記念日にはイスラエル軍が飛行ショーを行い、国民がフィーバー!
コロナ規制の無くなった2022年はBBQの群れが国中の芝生を埋め尽くすことでしょう。
生きる喜び。悲劇や理不尽との付き合い方。命と希望。イスラエルの魂に触れる週。少しはお裾分けできたでしょうか。
ユダヤ教3大祭り「ペサハ」なんて初耳!のあなたも、あの有名なレオナルド・ダビンチの名画「最後の晩餐」は見たことありますよね?
これがまさにペサハの晩餐の瞬間を描いたものなんです。(ただし、食卓スタイルは西洋風アレンジ)
ユダヤ民族が古代エジプトでの奴隷生活から解放され、モーセの導きによって出エジプトしたことを記念して、3300年程前からキリストの時代はもちろん、現代に到るまで祝われているのです!
2022年のぺサハはコロナ規制もほぼ無くなり、街に活気が復活!(マスクなしでOK。ワクチンを打っていなくても入れます。)イスラエルの政界では、「ぺサハのパン」が問題になり、議員が一人離脱・・・政権崩壊か?!また選挙か?!という騒ぎまで・・・国を動かすほどの問題か?!と思えるかもしれませんが、私たちが考えている重みとは違うようです。
問題となった『ぺサハのパン』はこの祭りの主食「マッツァ」という特別なパン(というよりクラッカー)。 祭りの1週間はイースト入りのふわふわのパンは禁止されているのですが、前日にパンを燃やすほど徹底しています。
photo by:https://images.app.goo.gl/RVzLUUJqE68FkvV66
これは、イスラエル人が古代エジプトから脱出するときのお弁当用に、パンを発酵させて膨らませる時間がなかったことに由来します。
記憶と追体験を通して子供たちに教え伝えるため、イースト無し、発酵無しのカサカサマッツァを食べるのですが、5000年という規模で守られ続けているからすごい。
イベント
photo by:https://images.app.goo.gl/AvvVRjCje8aKPpDX6
人混みを恐れないのなら、ペサハの西壁で、祭司の祝福「ビルカット・コハニーム」を受けてみてはどうでしょう?
少なくとも一度は参加する価値があります。
イスラエルではコロナ規制もほぼ無い状態なので、今年は活気が戻ってきそう。
この「祝福の祈り」は、毎週シャバットに各シナゴーグや家庭でも行われるのですが、年に2度、ペサハとスコットの祭りに毎年何万人もの人々が西壁に集まり、祭司の家系のユダヤ人たち(何百人も!)から歴史的な祝福を受けます。
両手を上げ、群衆の声が一つになる様子は特別な体験…!
3行の詩のような短い祈りですが、イスラエルで最も古いヘブライ文字として出土したのもこの祈りで、古代の昔から特別で力のある祈りです。
ただし!!
広場に確実に入るためにはか・な・り早めの行動を!
この日に旧市街の近くまで車で行くことはほぼ不可能ですので、覚悟して行きましょう。
私は何度かチャレンジして未だにたどり着けていません!(単に出発が遅い)笑
日時と時間は「THE PRIESTLY BLESSING (BIRKAT KOHANIM)+西暦」で検索。
2022年はこちら(※サマータイムで日本との時差は6時間)
ちなみに!西壁にはライブビューイングもあるので、日本にいてもちょこっと味わえるかも???https://www.skylinewebcams.com/en/webcam/israel/jerusalem-district/jerusalem/western-wall.html
ペサハのグルメ
パンと小麦(正確にゆうと小麦、大麦、オーツ麦、スペルト、ライ麦を含み、発酵する物)が街から消えるペサハの期間ですが、知恵を尽くしたペサハグルメが登場するのもこの時期。
小麦を使わないパンだと、とうもろこしやタピオカ粉を使ったパン(反則感あるが。笑)は温めるとモッチモチで日本人好み!私のお勧めはベーグル。
ファラフェルサンドも、小麦じゃないほうが美味しいのでは…とさえ思います。
※温めないとパサパサです。
クラッカーのようなマッツァをどう美味しく食べるか…。現代ペサハの永遠のテーマかもしれません。
こちらはユダヤのお母さんが作ってくれたマッツァボール入りスープ。
photo by:https://images.app.goo.gl/ZpMD28KFart9PtYD7
めちゃくちゃ美味しくてびっくり!パサパサのマッツァから溢れだすスープ!
photo by:https://images.app.goo.gl/A53vwHfGWrvsQPz27
他にもローストしたマシュマロやチーズをサンドしたり、ピザやラザニアに見立てたり、マッツァを駆使した手料理はもはやマジックです。
奴隷時代のレンガ作りを思い起こすために作られるデーツベースのフルーツペースト、「ハロセット」。
こちらも各家庭こだわりの代物で、同じのを食べたことがありませんが、どれも絶対美味しい!!
コレを作るためにデーツペーストは絶対買う私。
ペサハの小麦なしおやつには、ココナツクッキーや「マカルーン」というタヒーナのアーモンドプードルのクッキーなどがあります。これがコーヒーのお供に最高!
ココナツ好きな私は年中あってもいいのにと思う。
デーツとナッツをココアで丸めたロースイーツ、「デーツボール」
この時期はネットでもペサハレシピ!と銘打って美味しいレシピの数々がシェアされています。ペサハにかける情熱と工夫がすごい。
ショッピング
イスラエルで売られている商品には、『ペサハ』に食べられるかどうかのマークがついています。
この期間マークがついていない物は布が掛けられて買えないお店も!
イースト菌と酵母入りの食品は全て食べないので、パンもパスタもスーパーには置いてありません。
なぜ?と思うものについてはペサハの許可マークがない為。
日程
3-4月頃の7日間祝われるペサハ(2022年は4月15日の日没〜22日の日没まで)は、初日と最終日の日没からシャバットと同じように街がストップ!公共交通機関も止まるので要注意です。
そしてもちろんその7日のうちに実際のシャバット(金曜〜)もあるのでややこしい!
特に気をつけたいのが、国立公園などの観光施設も祝日の前日は半日営業だったりとイレギュラーな動きをするので、予定を立てる時には注意です。
もちろんイスラエルの友人にペサハディナーに誘われたらラッキー!
お腹をペコペコに空かせて行くことをお勧めします。(ただしペサハの儀式が長いので、お腹空きすぎは修行。)
宿泊
長期の休みを利用して、海外・国内旅行も多くなる時期なので、航空券や宿泊先はいっぱい!予約は早めにとったほうが◎
ホテルはこぞってペサハのプログラムを用意していたりもします。
車を借りておいて、死海や大自然でのBBQやキャンプ、ハイキングなどを楽しんだりもしていますよ。
せっかくですから、この時期だけのペサハの雰囲気を味わって!
「ペサハ」(過越しの祭り)

3-4月頃の7日間祝われる「ペサハ」では、街中のパンや小麦製品が消え、パッサパサの大判クラッカー「マッツァ」を主食に過ごします。
ペサハの前日までに家中を大掃除して、徹底的に小麦を家から出し、親の仇のごとく残ったパンを道端で焼いて燃やす光景も…

なんでそこまで?!の、ペサハ(過ぎ越し)の物語を紹介します。
ペサハの物語
この話は、ユダヤ人のアイデンティティの根幹を成すもので、これを知らずには始められません。
他のお祭り(シムハットトーラーやスコット)も関係してくるので、知らない人は要チェック!
もしかしたら「モーセの十戒」の映画を見た人もいるかもしれません。
430年の間エジプトの奴隷だったイスラエルの民を救うため、神が選んだのがモーセさん。紅海を割って海を渡り、神の民として自由になったという「エジプト脱出」のストーリーです。
ちょっと突然のファンタジー?!ですが、イスラエルの神とユダヤ民族の関係って、日本の神信仰とは大きく異なっていて文化的にも非常に興味深いです。

13世紀頃、エジプトの地ではユダヤ人たちが奴隷として苦役に苦しんでいました。
多産で多くなりすぎ、増え広がるユダヤの民を恐れたファラオは、生まれてきたユダヤ人の男子は全て殺すようにと命じます。(こわっ)
その頃に奴隷の子として生まれたのがユダヤ人モーセ。
しかし、母親はモーセを殺すことができず、(そりゃそうだ。)籠に入れてナイル川に流します。
それを拾ったのが、なんとファラオの妃!モーセはエジプトの宮殿でスクスク育ちます。

一方、イスラエルの民への当たりが益々激しくなるファラオ。
奴隷たちの嘆きを聞いたイスラエルの神は、モーセの前に現れると、民をエジプトから救い出すようにと命じます。
モーセはファラオにユダヤ人を解放するようにと要求しますが、聞くわけないですねぇ。笑
そこで、イスラエルの神はエジプトに10の災いを起こし、徹底的にビビらせます。
エジプト VS イスラエルの神です。
ファラオは災いの9つまではビビりながらも、「奴隷解放なんてありえん!」と突っぱねますが、10番目の災いは…残酷なものでした。
「国中の長男が死ぬ。」これが10番目。
神が命じた”救いの条件”をその通り行ったユダヤの民の家は、10番目の災い(長男の死)を「過ぎ越す」ことができた・・・。これが過ぎ越しの祭りの起源です。
国中の長男が死んだ晩、エジプト全土で死者のいない家はなかったと記されています。ファラオの長男も然り…。
あまりのことにファラオの心は折れ、モーセとユダヤの民にその夜のうちにエジプトから出て行ってくれと言い渡します。
この時、ユダヤの民は追い出されるようにしてエジプトを出たので、旅に必要なパンを発酵させている暇がなく、種無しパン(マッツァ)と呼ばれる薄いパンを焼いて持って行きました。
日本人なら米を炊いてる暇がなくて、せんべい持ってきた感じでしょうか。(なんか違うけど・・・いいか)笑
ところが、我に返ったファラオは逃げたユダヤ人を戦車を率いて追いかけます。
逃げたユダヤの民の数は女と幼児を除いて60万人!!!!!!!
60万の労働力を手放すってかなりのことですもんねぇ…ピラミッドが建たない。笑
(というか、なんで憎き奴隷ごときの為に大打撃受けねばならんのじゃ!自由にしてなるものか!って感じでしょうか。)
怒りで狂ったエジプト軍がものすごい勢いで迫ってくる中、前に広がる海!絶体絶命!
その時、海の水が割れ、海底の地面が現れ、イスラエルの民は「歩いて」紅海を渡り、逃げ切ったのです。
奇跡のスケールでかすぎ。。。。
ファラオは怖じけずそのまま紅海を渡ろうとしますが、海の水は勢いよく元に戻り、エジプト軍は沈んでしまった…と。
現在紅海のとあるポイントにはエジプトの戦車が沈んでいる跡!?と言われるものもあるとか?ないとか。信じるか信じないかはあなたし・・・いやいやいや!
都市伝説なんてレベルじゃないのがユダヤの祭り。「神はいる。なぜなら私たち(ユダヤ人)が生きているから。
(古代ロマンが気になる人はこちらのYouTube→https://youtu.be/SxShty5P6DY)
ペサハの晩餐
そんな訳で、神がイスラエルの民をエジプトから解放した「どでかい奇跡」をペサハは記念しているのです。
親から子へ、子から孫へと語り継がれ、記憶を繋いできたこの祭りは、各家庭で行われます。祭り当日に商売しようなんて人はいません。祭りの時間までに店を閉め、仕事をやめてそそくさと家に帰ります。
街は静まり返り、耳をすませば各家庭の窓から楽しげな歌声や話し声と、漂ってくるごちそうの匂い。こんな時、イスラエルでは家族を中心に世界が回っている。と感じます。
ペサハの1日目の食事と7日目の食事は特別で、エジプト大脱出ストーリーを子供達に伝えるために特別な晩餐を行い、シナゴーグ(会堂)や西壁へ行く人もいます。
イスラエルのお土産でよく見かけるこの食器はペサハ用のもの。
イスラエル人たちと過ぎ越しの晩餐を過ごしましたが、家族で伝統を守る楽しそうな姿には感動しました。
伝統的なペサハの晩餐ではどんなに急いでもメインの食事にたどり着くまで1時間。(ごちそうだからと何も食べずに参加したらお腹ペコペコでしんどい)

各家庭こだわりの式次第があり、それが絵本だったり、美しい装飾のついた格式高いものだったりと様々!
決まった食事や祈り、ペサハの歌や子供達の宝探しゲームなど、お父さんを囲んだ食卓で始まります。
ペサハの食事の大筋はユダヤ人家庭ならどこでも同じですが、それぞれの家庭の色で楽しんでお祝いをしているのが印象的。

ペサハの晩餐では過ぎ越しのストーリーを体験型で追えるようになっていて、例えば、エジプトでの苦役を思い出すために、苦い葉っぱを塩水につけて食べる…とか、10の災いの数だけお皿にワインの雫を垂らす…などのイベントがあるのです。
わたしが参加した家庭では、この「苦い葉っぱ」を食べるシーンで、離散していたユダヤ人ならではの「うちはセロリよ」とか、「ウチはパセリよ」などと議論が始まり「毎年決着がつかないんだ」と笑っていました。
時々順番を間違えたりもしながら(笑)和気藹々と賑やかに進みます。
こうして子どもたちは、味覚や行動で自分たちの歴史を体に刻んでいくのでしょう。

そうしてお腹が空いて気が遠くなる頃、ご馳走の登場です!
ユダヤのお父さん、お母さんは本当に料理上手で、どこの家庭もレストラン。
信じられないくらいのご馳走が食べきれないほど並び、デザートまでもしっかりあります。
普段宗教的でない人たちも、伝統と文化を守る。
イスラエルの民のアイデンティティが家族の絆を深める姿を見た気がしました。
ペサハの晩餐(セダー)をのぞいてみたい人は↓
観光はできる?
さて…友人に招いてもらえる…ということでもないと、ペサハの体験はなかなか難しいかもしれません。
特に、お店や公園の開く時間が変わったり、土曜日ではないのにシャバットのように街がストップしたりするので要注意。
ペサハの期間に被ったら、祭りのスケジュールをしっかり確認しましょう!
「日没から始まる」ことも忘れずに!
でもペサハの期間は長期休暇でもあるので、イベントも多くて街は賑やかです。
「ペサハ」の過ごし方とグルメの記事はこちらから
街中が仮装?!最もワクワクする祭り「プリム」ってなんだ?
2月-3月の辺りにやってくるイスラエルの春「アダルの月」は、その月に入っただけで喜びが増す!
一年で一番幸せな月!と言われるほどのお祭りです。
アーモンドの花が咲き始めるころ、通りの布屋さんに活気が出てくると「今年はなんの仮装をしよう?!」とワクワク。
聖書が起源の古い祭りですが、今ではハロウィンやコミケ、アニコンのような雰囲気もあってイベントも多く、外国人でも楽しむことができます。
何より、おじいちゃん、おばあちゃん、政治家や宗教家、ホームレス、老いも若きも街中が仮装しているってすごい!
日本では若者の文化であるコスプレですが、イスラエルはさながら国を挙げての「欽ちゃんの仮装大賞」状態。笑
思い思いに楽しめるので気張らずに参加できるのも嬉しい。(ディズニーの耳だけだっていい。)
プリムでは、”訳が分からなくなるまで酔いつぶれる”というしきたりもあるらしく。笑
祭りの二日目の朝は誰も起きてきません。笑
プリムイベントの開催時間の朝10時。
時間ぴったりに現地へ行ったら会場はまだオープンしておらず、「プリムだよ?まだ朝じゃない」と言われました。(えー。)
とにかく飲んで歌って踊る!がプリムのようです。
あなたもとっておきのコスプレで、街に繰り出してみては?
私は毎年浴衣で参加しています。(←仮装ではない)
コスプレしてればみんな友達!と言わんばかりに大歓迎してくれますし、近年の日本の漫画・アニメブームも乗っかって、日本人にもなかなか楽しい祭りとなっています。
プリムのお菓子「ハマンタッシェン」
photo by:ハマンタッシェンの作り方https://images.app.goo.gl/NE1hc328Q4cBkBxY6
プリムの伝統菓子、三角のクッキー「ハマンタッシェン」は、ハマンの耳と呼ばれて親しまれています。
「じゃあ、真ん中に入っているポピーシードやチョコレートは耳〇そなの?」と、聞いたら爆笑されました。
いや…耳食べるっっっ?!笑
(※ユダヤ人を絶滅させようとした「ハマン」と名前がかぶっているのは、後に訛ったからだそうで、もともとは耳のつもりではなかったらしいです。笑)
食べ応えは抜群で、ユダヤのお母さんの手作りは非常に美味しかったです。
イスラエルのガツンと強いカプチーノと合うんだよなぁ。
開催場所
2日間あるプリムの祭りはエルサレムなら、「ナハラオート」で街を貸し切っての大騒ぎをしていたり、バーやカフェでのオープンパーティーがあります♪
そして最近では、セントラルバスステーションの近くの「ビニヤニ ハウマ」でアニコンもやっていて、日本語が通じる学生も多く盛り上がっています。
シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)では最初の晩に仮装して集まり、エステル記の朗読を聞きます。
そして、宿敵「ハマン」の名前が読まれる度、大人も子供も音の鳴るオモチャを搔き鳴らし、大ブーイングをして妨害!!
これがなかなか面白く、笑ってしまいます。
民族滅亡の危機を覚える時に、こんなに笑って過ごすなんてなんだか素敵。
なんのお祭り?
どのお祭りであれ、ユダヤ人に何のお祭りですか?と聞くと、決まって返ってくるのが、
「ユダヤの祭りは全部単純さ。誰かが我々を滅ぼそうとした。しかし成功しなかった。我々は生きている!さぁ飲もう!!ははははは」(真面目に聞いたのに。)
影のない豪快な笑い声と共に、ユダヤ人らしいお決まりのジョークです。
しかし真実をついてる。それくらい迫害を受けてきた民族なんです。
でも、それすら笑い飛ばして生きている喜びを楽しむ。
恨みや怒りではなく、喜びを継承する。イスラエルの魅力の一つだと思います。
プリムの物語
「エステ」の語源がこの祭りに関係していると聞いたら驚くでしょうか?
プリムの美しき主人公、ユダヤ人にしてペルシャの女王となった「エステル」からきているんです。
ユダヤ人の悲劇「バビロン捕囚」を、歴史の授業で聞いたことがあるような気がするでしょう?…しない?笑
これはその頃、2500年ほど前のお話です。
当時のペルシャの王、アハシュエロス王の妃選びに招集された、国中の美しい女性たちの中から「エステル」は選ばれました。
(捕囚されたのって一般市民ではなく、王族や貴族など階級の高い人たちだったようです。)
国中から集められて選ばれるなんて、美しさどんだけ〜。
アハシュエロス王はエステルを愛します。
ところが、当時の総理大臣「ハマン」はあるユダヤ人が憎くてたまらず、民族ごと滅ぼしてやろうと密かに暗躍しユダヤ人虐殺計画を立て、王からその権限もまんまともらいます。
そしてついに、ユダヤ人抹殺の日がクジで決まりました。
ユダヤ暦、アダル月の13日。
ハマンが憎んだユダヤ人のモルデハイは、実はエステルの叔父。
ユダヤ人であることを伏せて妃となっていたエステルに、モルデハイは「あなたがここに来たのは、もしかするとこの時のためであるかもしれない。」
と王への進言を託します。
しかし、王の呼び出しなく王の庭へ入ると、男女問わず即打ち首。
しかもユダヤ人抹殺の日が定められた後、エステルがユダヤ人であることを明かすと言うことは、命がけのことでした。
一歩間違えば自分は死ぬ。そして同胞も皆死んでしまう…
しかし、エステルは断食の祈りを捧げ、同胞のために立ち上がったのです。
なんて勇気ある美しい女性!
この話が記されている「エステル記」は面白い上に、聖書の中でも短いからぜひ読んでみてください。
長くなるので色々端折りますが、その後ハマンは自分の作った処刑台で死ぬこととなり、アダル月の13日のユダヤ人暗殺計画は一変。
「ユダヤ人を殺そうとしたものは殺して良い。」とおふれが出た為、多くのペルシャ人が恐れ、ユダヤ人になりすましました。
この、「なりすました…」の部分が仮装と繋がっているとかいないとか。笑
この時、クジ(プル)で決まったユダヤ人抹殺の日が、一発大逆転の喜びの日、命の日に変わったことを神に感謝し喜びまくる。それがプリムのお祭りです。
お祭りの日はいつ?
ユダヤ暦で祝われるので、毎年2・3月のどこか…と日がズレますが、アダルの月の14・15日に祝われます。
プリムには思いっきり仮装して楽しみましょう♪
エルサレムがディズニーランドみたいになるので、仮装していない方が恥ずかしくなってきます。笑
ただし、エルサレムはまだ寒いので気をつけて!
世界各地でクリスマスの飾り付けやイベントで賑わう11月-12月の頃、実際イエス・キリストが生まれたこの地ではクリスマスではなく、「ハヌカ」と呼ばれる光と油のお祭りを祝います。
街にはクリスマスの「ク」の字もなく、クリスマスの飾りつけもありません…
知らずに来たクリスチャンの友人は、かなり唖然としていて可哀想になる。笑
今回は、そんなハヌカのお祭りの目玉となる、甘党を虜にするのスイーツと幻想的なキャンドルナイトを紹介したいと思います。
「街中にキャンドルが灯る「ハヌカ」の物語り」では、このお祭りのきっかけになったストーリーも紹介しています。
小難しい話はこちらの記事で・・・知って参加するとまた違った楽しみ方が生まれますよね♪
甘党も虜の「スフガニア」
ハヌカの祭りにイスラエル人が心待ちにしているもの…それが『スフガニア』です!
ジャムやクリームの入った揚げパン(ドーナツ)。
毎年、味も種類もクオリティーも上がっているように感じます!
イスラエル保健省からは「食べすぎは太ります!」との警告が出るほどの人気っぷり!
しかもこの祭りには油が欠かせないので、料理にもたっぷりの油が使われます。
ただ、新鮮なオリーブオイルが安く手に入るからか、たっぷりの油料理でも胃もたれをしたことがないから不思議!オリーブオイルってすごい?!
国民の愛するスフガニアは糖+油+炭水化物!絶対美味しいに決まっている。(カロリーは爆弾級!笑)

友人は「1日に5つも食べたわ!」と自慢してくるほど。笑(糖尿病が心配)
毎年街でもスフガニア店ランキングが盛り上がっていて、スフガニア祭りです。
同僚が職場に箱で買ってきたり、語学学校の休憩時間に配られたり、帰宅のバスの中で無料配布が始まったり…と私は甘いものがそこまで好きではないのでこの「スフガニア・テロ」には参りました。笑
が、私の周りの甘党日本人は大熱狂!!
ぜひ食べてみてください♪
こちらもハヌカの定番、ポテトパンケーキの「ラトケス」。
幻想的なキャンドルナイト
ハヌカは8日間続きます。
毎日日暮れになると「ハヌキヤ」と呼ばれる9本の燭台に一日一本ずづ蝋燭を灯していき、祈りを唱え、家族でハヌカソングを歌い祝います。
このハヌキヤは、外から見える窓辺や玄関に飾られるので、日が落ちた時間の街の窓辺には蝋燭が並んでいて綺麗!
8日目には9本全てに火が灯るのですが、おすすめしたいのがエルサレムのマハネ・イェフダ市場の裏手にある「ナハラオート」と呼ばれる地区。
敬虔なユダヤ教の家族が夕方それぞれの家の前で蝋燭を灯し、祈り、小さな子供からお年寄りまで、思い思いにハヌカソングを歌うのです。
ギターとカホンでプロ並みの演奏を聞けたり、ハヌカツアーにもってこい!の場所。
声をかけると快く写真を撮らせてくれたり、一緒に歌って踊ったり…一緒にハヌカを楽しもう!という雰囲気です。
旧市街のユダヤ人地区もとっても美しく、おすすめです。
あなたもヘブライ語での挨拶「ハヌカサメアー!」と言いながら、ぜひこのお祭りを一緒に楽しんでみては?
ハヌカは2100年とか2200年前くらいにイスラエルで起こった事件を記憶し、記念しているお祭りで、「奉納」とか「献堂」なんて意味があります。イスラエルのお祭りの中では割と新しい祭なんです。(それでもかなり古い・・・)
当時、イスラエルは、アンティオコス4世のセレウコス朝(シリアあたりの王朝。ややこしいけどギリシヤ人)による支配を受けていました。
(この地域の覇権争いは凄まじくややこしいですよね。覚えられない)
この頃、ギリシア人たちは彼らの文明「ヘレニズム」を広めるのを占領政策としていたので、ユダヤ教の掟を禁止し、異教の文化を押し付け弾圧し、ユダヤの神殿を汚しました。
それがどのくらい屈辱的なことか…
例えば、日本の近くの強国が責めてきて「日本の正月等の祭りは廃止、全員〇〇語を話すように。今の天皇を〇〇人の天皇に変えます。御所はそのまま使います。畳は土足であがります・・・」とかされたら…しかも政府の一部は寝返って忖度しまくりになったとします。
そうなると…きっと反乱起きますよね?(※例えは適当です。)
ユダヤ人たちは独立を勝ち取るため、大した武器もないのに立ち向かったんです。
その時の英雄がマタテヤとその息子たちでした。
その中でも特に息子の「ユダ・マカバイ」が大活躍!
マカバイたちは強力なギリシア軍に勝利し、紀元前165年エルサレム神殿を解放しました。
ちなみに、日本でも表彰式でお馴染みの曲、「見よ、勇者は帰る」のメロディーは知っているはず!(https://www.youtube.com/watch?v=7e06JEupzvA)
この曲はこのハヌカ事件のマカバイたちが題材なんです。
神殿で灯す燭台の光は神が絶やしてはならないとした大切な燭台で、神が絶やしてはならないとした神聖なものです。
神殿用に特別な一番絞りのオリーブオイルが捧げられていたのですが、占拠していたギリシア軍は油壷を全部使えないものにしてしまっていました。
神殿を取り戻したユダヤ人たちが火を灯そうとして探して見ると、あったのはやっと1つの油壼のみ。わずか1日分にも満たなかったのです。
それでも…と灯してみると、まるでエルサレム奪還を喜ぶように8日間燃え続けた・・・というのがハヌカの歴史。
なのでこの時期には、どの料理にもたっぷりの油が使われるんですね。
この出来事を記念して、ハヌカは現在も大切にされているお祭りのひとつです。
よーーーーーく見ると、イスラエルでよく目にする燭台のメノラー(写真左)は枝が7本なのですが、ハヌカで使うハヌキヤ(写真右)は9本です。
8日間燃え続けた神殿のともしびを記念して、1日1本づつ8日分の燭台なのです。
(9本なのは1本が火をつける用のろうそくだから・・・説明難しい・・・詳しくは現地でやってみましょう。笑)
そんなことから、ハヌカは「光の祭り」であり、「油の祭り」でもあるんですね〜!
この時期に日程を合わせて行くのもいいですね♪
イスラエルのスーパーホリデー月間 その2
新年の「ロシュハシャナ」から10日後、イスラエル最大の静寂の日がやってきます。
ユダヤの伝統では、神はロシュハシャナとヨム・キプール(大贖罪日・だいしょくざいび)の間の10日間の間にすべての被造物を裁き、来年、生きるか死ぬかを決定するとされています。
ユダヤ教の教えでは、神は正しい者の名前を「いのちの書」に刻み、悪人に死を与えると教えます。
そのため多くのユダヤ人たちはこの10日間、特に祈りと善行、過去の過ちを反省し償いをする期間と考えて行動します。
なんと40日前からヨムキプールに向けて祈っている人もいるとか。
ヨムキプールは「贖罪の日」という意味です。
約26時間神への祈りにのみ集中するため飲食を控え、化粧水やクリームを塗ったりもせず?!革靴を履かず?!夫婦の営みを避け、水さえ飲まない断食をする人もいます。
そして、シナゴーグでひたすら赦しを祈りながら一日を過ごすとか…
(「以下のことはあなたがたに、永遠のおきてとなる。第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も、どんな仕事もしてはならない。 なぜなら、この日に、あなたがたをきよめるために、あなたがたの贖いがなされるからである。あなたがたは、主の前でそのすべての罪からきよめられるのである。」と聖書の記されているためです。)
シナゴーグに行ってみると、白い衣装の人が多かったです。
普段宗教については何も考えないイスラエル人でさえ、この日の断食だけは行うと言うから驚きです。
殺人や盗みを犯してもいない善良な人たちまでも、なぜ断食して悔い、神に許しを請うのでしょうか…?
聖書の教える「罪」とは、唯一の神から逸れること、世界を造った神を無視し反すること。
この日には、民はイスラエルの神に最も近く、魂の本質に近づく日なのだと教えてくれました。
私もイスラエル人たちに加わってヨムキプールに参加するのですが、驚いたことがいくつか…
・空港は閉まり、信号機も止まる。
・車が本当に一台もいない。(シャバットでも多少はいる)
・夜、歩行者天国状態の道路にスケートボードや自転車、おもちゃで遊びまわる子供達で溢れる。
・断食前後の食事が信じられないほど豪華すぎる(日本人の友達は胃がびっくりして吐いてた。)イスラエル人の胃はすごい。
夜、みんなで歩いて西壁まで行き、不思議な静けさにドキドキしました。
日本のお祭りとは全く違う、国中が一つになっている感覚なのでしょうか…全身で、全国で神に向かう民だなぁ…と感じたことの無い畏怖に言葉がありませんでした。
この日は撮影もしない日、西壁やシナゴーグではシャッターを切ることができません。
携帯も電源をオフにしている人も多かった。
じゃあここにある写真はなんなのか…
知らなくてうっかり撮っちゃったんですね。本当にすみませんでした。笑
(※西壁の写真だけは別日です。)
そんな特別な空気感が漂う時期ですが、交通機関もお店も動いていないので、旅行の日程がかぶらないようにお気を付けください♪
1ヶ月間のスーパーホリデーについては、イスラエルのスーパー新年(9・10月)、テント生活をするお祭り?!「スコット」で書いています♪
イスラエルのスーパーホリデー月間 その1
1月1日を元旦とする日本では、12月末からソワソワと新年の準備が始まりますよね?
ですが、ここイスラエルの1月1日は普通の平日。
特にエルサレムに暮らしている私には、6月1日くらいの憂鬱な平日です。笑
友人たちのSNSがホリデー一色。美味しそうな和食投稿を横目に恨めしく働いています。
イスラエルの新年は9・10月頃、ユダヤ暦「ティシュレイ」の1日から二日間祝われますが、この月はお祭りが目白押しで、ほぼ1ヶ月間はホリデー!
イスラエルの新年はスーパー祭りモードに突入します。
ただの新年としてというよりは、神が世界を創造した「世界の誕生」を祝っているのだとか。
そんなわけで、祭りは最優先事項。
みんな仕事に身を入れている場合ではなくなって、事務的な手続きも後回しなので、提出期限が間に合わないままこの月を迎えると…1ヶ月は諦めるほど。笑
この時期は、乾季の終わりで初めの雨がやってくる季節。
夏の間一滴も降らなかった雨がカラカラの大地に染み込み、砂埃を洗い流し、街中が潤う様子は、まさにこの土地が祭りを喜んでいるかのようです。
ラッパのお祭り「ロシュ・ハ・シャナー」(ユダヤ新年)
「ラッパの祭り」と呼ばれ、新年が近づくと近所から角笛の音が響きます。
新年には独特な角笛の鳴らし方があり、ただでさえ音を出すのが難しいので、子供達はお父さんと練習します。
お土産やさんにはいつも売っているので、新年の風物詩に一度トライしてみては?
お店の人は吹いてみせてくれますが、かなりの肺活量とコツが必要です。
私は昔トロンボーンをやっていたので割と自信があったのですが、何度か練習して音を出すだけで精一杯。(あと、角笛はめちゃくちゃ臭い。笑)
2日間祝われますが、新年の晩餐は特に家族で過ごします。
神の創造に感謝し、新しい年の祝福を祈りながら特別なごちそうや、日本の「おせち」のようなゲンを担いだ食べ物を食べ、飲み、祈り、歌い、大いに楽しみます!
ロシュハシャナーの名物と言えば、「リンゴにはちみつ」。
あまーい年になるようにと食べられるのですが、イスラエルのリンゴとはちみつって何か違うのでしょうか?!とっても美味しい!
特にイスラエルの蜂蜜はいつもお土産に買います。
蜂の巣入りや、ナッツ入りがおすすめですよー。
そしてこの時期旬のザクロ♪
イスラエルの”7つの祝福”の作物の一つで、宝石のようにギッシリ詰まった実をトーラーの教えに例えたり、多産と祝福を重ねて食べられます。
イスラエルをこの時期に訪れてザクロを食べない手はありません!
日本では高級フルーツで、その効果効能は美のスーパーフード!(種に栄養があるんです!)
ザクロジュースももちろんこの季節が美味しいのですが、市場で買ってポリポリとタネごと食べましょう!
この時期はおやつに、サラダにと毎日食べます。肌の調子いい〜!
収穫祭でもあるこの時期、イスラエルは美味しいフルーツがいっぱい!!
デーツやオリーブもこの時期に収穫されます。
美味しいオリーブオイルがセールになったり、搾りたてが出回るのもこの時期。
オリーブ詰みのボランティアに参加した経験も楽しかったです!
そして、ぜひ紹介しておきたいのが、デーツ!
干し柿のように甘くて昔は苦手だったのですが、フレッシュデーツを食べてからどハマり!
夏の暑い日に冷凍庫に凍らしておいたフレッシュデーツをかじるのがたまらない…まるで天然のシャーベット。
ただ、あまりにもハマった友人が日本に持ち帰り、スーツケースを開けると腐っていたとか。なので、フレッシュデーツは現地で楽しみましょう!
イスラエルのスーパー新年は、新年の挨拶「シャナトバー!」が街にこだまする美味しい季節のお祭りです♪
1ヶ月間のスーパーホリデーについては、イスラエルが完全に止まる「ヨムキプール」、テント生活をするお祭り?!「スコット」で書いています♪
ガザを支配しているテロ集団「ハマス」によるロケット攻撃を度々受けているイスラエルですが、シャブオットの祭り(5月〜6月)の数日間に何千発ものロケット弾が飛来し、エルサレムやテルアビブにまで攻撃があるという緊急事態の最中、あるイスラエル人がこんな投稿をしていました。
”イスラエルの全てのお祭りは、この短い文章に要約できる。すなわち、
『誰かが我々を滅ぼそうとした。しかしイスラエルの神は奇跡を起こして我々を救った。我々は生きている!』
ただし、シャブオットだけは違うので、今ハマスが協力してくれているところだ。”
ロケットが飛んでくる時にもユダヤジョークが炸裂する国。
「街にサイレンが鳴って、シェルターに駆け込む」なんて日本に住む私たちには一大事ですが、イスラエルは何だか雰囲気が違います。今年のSNSの投稿はロケットのニュースと豪勢なチーズケーキの写真が乱立するカオスぶり。笑
さて、シャブオットって何?
住んでいた私にも一番ピンと来ない祭りの一つで、「チーズケーキを食べる日」と、なんだかぼんやりしていました。
今も分かっているとは思いませんが、今後も勉強しながらアップデートしたいと思います。
いくつかシャブオットのイメージを並べてみると、
・「7週の祭り」とか「五巡節」ともいう
・三大祭りの一つ
・乳製品を食べる祭り(チーズケーキ万歳)
・ルツ記を読む(何それ。)
・徹夜で聖書の勉強をする祭り(突然の嫌な予感)
・イスラエルの核「トーラー(神の教え)」をシナイ山で授与された日らしい
・小麦の収穫祭
・女の子たちが花冠つけていて可愛い(皆んなじゃない)

7週の祭りとか五巡節ともいう
それは日本語ですか?という感じですが、エジプトの地から救われた「過ぎ越しの祭り」(ペサハ)から数えて7週目(50日目)に祝うための異名ですね。(数え方がちょっとややこしいのでだいたいで・・・)
他にもギリシャ語の「50」にちなんだ「ペンテコステ」や、ヘブライ語では「ハグ ビクリーム」とか「ハカツィールの祭」などとも呼ぶらしいです。
名前ありすぎるせいでぼやけるから統一してほしい。笑
過越しの祭り(ペサハ)と仮庵の祭り(スコット)と共に三大祭りの一つ
それはもう盛大に祝うんだと思っていたんですが、住んでみた私の印象では「乳製品を家で食べまくる日」とゆう印象のみ。
ん?何の日なんだ?と3年くらい疑問でした。
チーズは大好きなのでイスラエルのチーズ!チーズ!チーズ!には大興奮で、あまり深く考えていなかっただけかも・・・(イスラエルのチーズ美味しいですよ!)
徹夜で聖書の勉強をする祭り
そう。たっぷりのチーズとワインをいただいて、ぐっすり眠りこけている深夜にこそ、祭りが行われていたのです。
気がつかなかった!!!←(食いしん坊)
ユダヤ教ではトーラーの巻物(聖書)を神がユダヤ人に与えた日だとされるので、各シナゴーグで徹夜の聖書勉強会が行われており、皆シナゴーグのハシゴをして、色々なラビの話を聞いたり議論をしたり、西壁で学んだりしているんです。

誰でも参加可能だそうなので、男性はキッパを被って、女性は露出を避けてシナゴーグへ行ってみては?
イスラエルの「勉強」は日本と違うので新しいイスラエルの一面に驚くかも。
小麦の収穫祭
シャブオットはイスラエルの畑が黄金に色づく季節でもあります。
北部の畑は圧巻です。シャブオットには天地を創り季節ごとに雨を降らせるイスラエルの神に感謝を込めて、初ものを捧げる収穫祭の一面もあります。
聖書の中にある美しいラブストーリー「ルツ記」はこの収穫の季節の物語です。
ルツと言う外国人女性が、イスラエルの麦畑で落穂拾いをしているときに、ユダヤ人ボアズと出会い結ばれます。悲劇で始まる物語ですが、深い悲しみと困窮の中、外国人のルツがトーラーに忠実で、なんとダビデ王の祖母にまでなるという祝福のストーリー。シャブオットにはこんなルツの生涯から学ぶのだとか。
言わばユダヤ人が外国人から聖書の生き方を学んでいると言えます。面白い・・・
最後に・・・
チーズケーキを焼く匂いが街に満ちるシャブオット。
大好きなチーズとワインを頬張りながら、何で現代では「乳製品の祭り」になっているの?と聞いてみたら、いろいろな答えが返って来たのですが、中でも気に入ったのが
「トーラーを神様に貰った当日、食事をしながら祝いたいのだけれど、肉に関する食物規定があり過ぎてめんどくさい。とりあえず今日は乳製品で祝おう。」というもの。笑
とんちの効いた返しで、ますますユダヤジョークが好きになるのでした。