2020.04.25

この街がもっと好きになる!ナブルスの歴史

ナブルスは、エバル山とゲリジム山の山間に古くからある街。

歴史に登場した頃から、オリーブやぶどうの交易が盛んであったらしいく、今でもパレスチナの商業と文化の中心。

そしてこの街の美味しいものにはハマる。味付けが絶妙です!

ゲリジム山は聖書に出てくる「祝福の山」として有名で、現在はアラブ人と、数少ないサマリヤ人が暮らしています。

今回はそんなナブルスの観光が楽しくなる、このまちの歴史をさらりとおさらいしたいと思います。

始まりはおよそ4000年前

ナブルスが歴史上最初に登場するのは、ヘブル語聖書「創世記」。

初めは「シェケム/Shechem」という名前でした。

アラブ人とユダヤ人の祖「アブラハム」がこの地方にたどり着いて、最初に住んだ場所です。

当時はすでにカナン人が住んでいたと書かれていますが、聖書には神がアブラハムに「あなたの子孫に、私はこの土地を与える」と約束したことが記述され、信じられています。

アラブ人もイスラエル人もアブラハムの子。仲良くできる日がくるといいなぁ。そんな簡単な話じゃないんですけど・・・ついそう思っちゃう。

孫のヤコブが土地を買取り、今でもヤコブの井戸が存在しているとか!

このヤコブさん、途中で名前が「イスラエル」に改名される人です。

イスラエル時代

聖書の中でも度々登場する重要な街であったようです。

出エジプトを果たし、イスラエルに戻ってきたユダヤの民は、ヤコブの息子「ヨセフ」の遺体を運んできて、この地に埋葬しました。

今でもヨセフの墓があって、行くことができます・・・すごい。

イスラエルの王国が分裂し、北王国となってから1世紀ごろまで、サマリア人(イスラエルの北王国の人たち)が住んでいました。

南王国(エルサレム)のユダヤ人たちとは同じ聖書、同じ神でありながら、異なる文化の発展があり、興味深いです。

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このサマリア人の末裔は、今も聖地ゲリジム山を中心に暮らしていて、会うことができます!

古い伝統や祭り、失われた古代ヘブライ語の音を継承しておられるとか・・・。

キリストが活躍していた当時にもこの街の記述は登場し、新約聖書でも出てきます。初期のキリスト教徒もここに住んでいたようです。

ローマ時代

紀元6年には、シェケムはローマ帝国のシリア州に併合されました。

ユダヤ・ローマ戦争の一部、「ガリラヤの反乱」(67年)の際にはこの地域のサマリヤ人もゲリジム山で武装したとか。

しかし、その戦争の時にローマのセレリスによって破壊されたと言われています。

72年に、ローマ皇帝ヴェスパシアヌスが旧市街から2kmのところに、フラヴィア・ネアポリスという町を建設。

この辺から激しい戦いがあり、この地独特の複雑な歴史が展開されます。

ゲリジム山には、サマリア人、ローマ人、キリスト教徒たちが次々神殿や教会を建て、今でもその複雑な遺跡を山頂にとどめています。

イスラム時代

イスラム勢力によって制圧され、モスクが次々と建てられます。

ウマイヤ朝時代に「ナブルス」と改名されました。

十字軍時代

1099年頃、十字軍が制圧。

キリスト教勢力がこの地を収めたので、キリスト教徒やサマリア人のコミュニティーが再び復活します。

イスラム時代2

イスラムが再び制圧。

サラディンがやってきます!

エルサレムを制圧したイスラムの英雄として有名ですよね。

この頃はイスラム支配の元、ユダヤ・キリスト教共に共存していた模様。

19世紀後半から現代

オスマン帝国が破れ、イギリスの支配が始まり、現代イスラエルが建国され、西岸地区として分断されることになる近代史です。

このあたりの歴史は複雑で非常に不透明です。

何がどうなっているのか難しく、現地の人たちですら、場所によって全く別の歴史観を持っています。

私はここで偏った意見を提供したくありません。

ネットには双方の意見が乱れ(不思議なことに日本語だとパレスチナ寄りの見解が強い)、収拾がつかないのが現状。

歴史ってそういうものかもしれませんね。勝者が歴史を作っていく・・・。

未だこの地にどちらかの勝利というものは訪れていない。

「紛争地帯」ってそういう意味だったのか、と平和に美味しいものを食べながら納得する私・・・。

この国の歴史の不思議さは、世界の問題を凝縮しているようだと感じること。

今後も注目して追いかけていきたいです。

最後に・・・

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無責任な外国人の私は、この場所で人間の戦いの「歴史」を生々しく感じました。

今知っている歴史も、そうだと信じているものも、全く的外れなのかもしれない・・・。

この地にも憎しみや怒りがあり、問題はあります。

それでも生活と日常があり、選べない環境の中でどう生きるか?という課題は誰にだって当てはまる。

日本でいえば、日韓の問題は、パレスチナ問題同様、根深く難しいと感じています。

平和な国だと自負はあっても、自殺者の数だけ見れば説得力がありません。

イスラエル、パレスチナは紛争地帯!とメディアはイメージだけを煽るけど、そこから一歩踏み込んで学ぶかどうかは自分次第。

勉強の苦手な私でも他国の問題から学べることは多かったです。

※西岸地区に行く時は必ず現地の情報を確認してご自身で判断してください。「注意!西岸地区へ訪問する前に必ずチェック!