1800年前に失われた言語が復活?!奇跡の言語「ヘブライ語」
1800年前に失われた言語が復活?!奇跡の言語「ヘブライ語」
人類史初!!奇跡の言語「ヘブライ語」
イスラエルでは英語もよーーく通じますが、
母国語として聞こえてくるのは「ヘブライ語」です。
のどの奥を使って発声する「喉音」と呼ばれる独特の音が混じっているヘブライ語を、大人も子供もものすごい早さででまくし立て、たわい無い会話も喧嘩も、テレビもラジオもバスの中でも、国中にヘブライ語が溢れています。
お母さんを呼ぶ声、路上に響く歌、愛を語り、喧嘩し、神を讃え、学び・・・
この心地よい言葉が、今、この国に生きていることに、私はもはや涙せずにはおれません。
なぜなら私たちがイスラエルで耳にする「ヘブライ語」は奇跡の存在なんです!!!!
現代ヘブライ語の父、ベン・イェフダ
ここはエルサレムにあるベン・イェフダ通り。
お土産やさんなどが並ぶ賑やかな通りですが、この通りの名前になっているユダヤ人男性を紹介させてください。(写真内の壁面にアートされている顔の人物です)
「イスラエル」という国が影も形もなくなって、ユダヤ人の国なんて夢のまた夢・・・多くの人が不可能と思っていた時代。
「ユダヤ人国家が生まれ、イスラエルが建国されるのなら、その国の言語は「ヘブライ語」でなければならない!」
と言い出した「大バカ者」が一人おりました。
その名もエリエゼル・ベン・イェフダー
なぜ大バカ者と紹介するのか?
ヘブライ語は西暦200年(今から約1800年前)ごろには死語となっていて、日常会話としては誰も話しておらず、聖書と宗教的な祈りの中に首の皮一枚で存在しているような言語だったので、ヘブライ語を日常で話せる人などいませんでした。
当時、ユダヤ人はそれぞれ散った国であらゆる言語を話していて、イスラエルの地域にいたユダヤ人たちでさえ、別々の言語を話していました。
なのでわざわざヘブライ語を覚え直して、日常生活で使うなんてバカバカしく、想像するだけで気が遠くなることだったのです。
しかも、自分だけ・・・・ではなく、まだ存在もしない、できるかもわからない国の国民全員の公用語とするなんて!
あまりにも途方の無い絵空事でした。
もう一度言いますが、この時はまだ、建国すらありえないことで、ユダヤ人の国なんてものは無いのです。
しかも1800年も前に死んだ言葉。
日本で例えるなら、平安時代の言葉を現代の母国語に復活させようとするようなもの。無謀すぎますよね(笑)
ヘブライ語を使っていた当時には無かった新しい物や概念で溢れている今の世界に、古代語を復活させるということは、新しい言葉も生み出し、浸透させるということです。
彼はエルサレムに移り住み、自分の妻に家の中でのヘブライ語以外の使用を禁止します。(は?)
産まれてくる子供にはヘブライ語以外聞かせない。(え?)
ヘブライ語を話せない人には子供達にすら話しかけない。(ん?)
頭・・・おかしいでしょ。狂気すら感じます。
さらに、家族で今日はパン1つというような経済状況で、新聞社を立ち上げ、駆けずり回って資金を集めながら、尋常で無いエネルギーをかけて毎週の編集・発行を行います。他にも、ヘブライ語での教育をするための教科書作成や、膨大な語彙を示すヘブライ語辞典の編纂の凄まじさは恐怖すら感じます。
決して健康面に恵まれておらず、持病を抱えながらの活動です。文字通り、彼のヘブライ語復活にかける情熱は、命を削った働きでした。
この言語はユダヤ人にとって神聖な言葉・・・単なる公用語としての復活だけでなく、それぞれの地に離散し逸れた民族が一つとなるための、文化とアイデンティティの復活をも意味していました。
だからこそ、この男は適当な仕事を嫌い、1単語さえ妥協せず、死の瞬間まで調べ続け、たとえ欠片でもヘブライ語の情あれば世界中から収集し、それを系統立て、新語を生み出し、文字通り命懸けで現代ヘブライ語を美しく確立させました。
1分1秒を惜しんでヘブライ語研究と普及に尽力した彼の書斎に椅子はなく、何十時間も立って作業をするための、専用の机がありました。
途方もない夢を現実にすると信じて、未来のために命を削って追い続けた人、それがベン・イエフダーです。
大病を患いながらヘブライ語復活のために1日18時間働き続ける驚異の執念・・・彼の生き様には震えます。

ベン・イエフダーの人生についてはこの本「ヘブライ語の父ベン・イェフダー」がおすすめ。
可能性がなさそうな道を、逆境と敵の妨害の中、振り切って振り切って気が狂ったようにつき進んでいく姿。
実現不可能な夢に対する情熱を、どのように維持していたのか?を体験する1冊です。そして、彼をそこまで奮い立たせた「ヘブライ語」の魅力にも興味を持っていただけたら嬉しい。
さて、彼の無謀な挑戦の結果はどうなったのか・・・・
私たちは現代イスラエルで彼の夢の続きを目の当たりにできます。
国家樹立の奇跡も、死海文書発見の奇跡も、ヘブライ語復活の奇跡も・・・
イスラエルという国を見る時、この国に働いている力はなんなんだ?!?!と叫びたくなります。
2000年前の古代語が現代に生き返るという、人類史上初の奇跡の言語。
イスラエルに来たら、ユダヤ民族の母国語ヘブライ語にも注目して欲しいです。
イスラエルの魅力って、超ハイテクな大都市のすぐそばに、古代から変わらない荒野での暮らしが守られていることだと思うんですっ(すごくない?)
セレブのように優雅な時間を満喫して、贅沢と快楽に溺れさせてくれるイスラエルもすごいけれど、コンビニも電気も電波もない荒野の「不自由で自由」な体験は、別の意味で超贅沢・・・。(ちなみにトイレもないよ♡)
今持っている何もかもを置いて、地球と一対一になる・・・そんな体験でした。
水とか、緑とか、生き物とか・・・目に見える豊かさがないので、心がスッポンポンになる感じ。
私が参加したツアーはこのベドウィンの宿泊施設に宿泊!ではなく、ここから5時間ほど歩いた荒野のど真ん中で野宿。というもの。笑
聞いただけで倒れそうでしょ?笑
乾季も末期の9月下旬。
どんだけ暑いの?と思うかもしれませんが、信じられないくらい爽やかな風が吹き抜けるので、水を飲むのも忘れるほど(忘れると死にます。)
お昼ご飯をベドウィンのテントで食べてからのスタートですが、ここもクーラー無しで快適。(泊まるのもここで全然いいのに)
ガイドをしているベドウィンのおじさんがとっても気さくで素敵でした。
自然のあるがままに生きていて・・・荒野の一部みたいな人でした。
道も道標も無い荒野を迷わずぐんぐん進んでいきます。
私は荒野と言えば「砂漠」と思っていたんですが、大きめな石がゴロゴロ。
360度景色が一緒で・・・
もしガイドを見失ったら、100%野垂れ死にます。
万が一おじさんが悪い人で、違うところへ連れて行かれても、売り飛ばされるまで気がつかないことでしょう。笑
そんな状況だからか、人生について考えちゃったりして。
ガイドのおじさん曰く
「昔からイスラエルの神は荒野で人に語りかけたんだよ。ここは神と語る場所なんだ。」
(ヘブライ語の「荒野」と「語る」は「מדבר」で綴りが同じ)
そういえば、私がここで「語られた」こと、「気づき」は、心の深くに刺さっていて、いまだに人生の指針になっているので・・・・おじさんの言ってたことは本当だ!!笑
荒野にきたら、イスラエルの神様と一対一になってみては?
さて、衝撃を受けたのが夕食でした。
道無き道を歩き続けてたどり着いた宿泊場所は、道中と同じ荒野の真ん中。
大地にゴザ敷いただけ。めちゃめちゃワイルド。笑
そして何より・・・繋がれている羊・・・・
注意:ここからは羊をいただく過程があります。苦手な方はスクロールしてください。人によっては衝撃的な画像になるので、ご自身の判断でお願いします。
そうです。今日の夕食です・・・・
なんとアラブの犠牲祭と被っていたので、「今から羊を屠るぜ」と言うタイミングに居合わせました。写真撮ったんけど・・・気分が悪くなる人がいると困るので控えめに貼っときます。
私が生きるための犠牲。
命をいただいている。と言うことの実感。
日本に住んでいた頃は、食べ物に溢れている生活の中で、なんのためらいもなく手に取っていた肉。それが命なんだと言うことを体感しました。
これまでも考えなかったわけではないのに・・・体験って強い。
その辺の石を運んで来て即席オーブン。
ラム肉をぶち込みます!!!
肉を焼いている間にアラブのパン「ラファ」も焼きます。
荒野で生きる体験をこんな手軽にできちゃうなんて・・・
イスラエルでは多くの子どもたちが自分の意志でビーガンやベジタリアンになる話を聞きますし、特に「命」にフォーカスする国だな・・・という印象があります。
単に大切にするというより、「命」を守るために自分はどうするか?という意志をはっきりと持っている感じ。
さて、荒野で思わぬ命の授業を受けた私はと言うと・・・
「おいしくいただきました!」本当に美味しかった。涙出るくらい!(食い意地)
歩き疲れてお腹ペコペコだった私はもりもり食べました。ありがとう羊!!!
いつもの何倍も湧き上がる感謝の気持ち。
この命を自分の為だけに独占しないと決めました。
自分一人のために羊を屠ることはしないだろうと思ったからです。
せっかく命をいただくなら家族のために、できれば多くの人を招いて、一緒に楽しみ喜ぶ食卓で・・・そして余すことなく感謝して楽しむ。
できるなら、飼育環境や生産地が確認できて命を尊ぶ社会でありたい。
いつか酪農体験もしてみたいと思いました。
見ただけでは、自分が育てた命を屠ることの意味をわかっていないと思ったから・・・
その結果ビーガンになるのだとしたら、きっと「楽しみを奪われる」のではなく、「心地よい生き方」に切り替わるのだろうと思います。
さて、あなたはどう思いますか?
そんなことも荒野だからこそ語り合えるのかも。
焚き火を囲んだあの雰囲気って小っ恥ずかしいことも丸裸にできちゃう!
イスラエルの荒野体験は他にも色々あるのですが、コロナ期間中なので情報が少なめ・・・友人はラクダツアーが楽しかったみたいです。
コロナの収束を祈りつつ、復活したら荒野情報更新します!
ユダヤ教の食物規定コシェル
ヒンズー教やイスラム教の食物規定のように、ユダヤ教の「食べても良いもの・ダメなもの」の決まりがあり、それを「コシェル」と呼びます。
コーシャー、カシェル、カシェルートなどカナ表記は様々ですが…ここでは「コシェル」で説明しますね。(イスラエルって単語一つシンプルな説明にならない。笑)
日本の友人にコシェルの話をすると、「豚もエビもうなぎもだめ?チーズバーガーがない??食べられない決まりがあるなんてしんどい!」と言われます。笑
でも、日本人の私たちも、土足で畳に上がらないとか、皿洗いは泡をゆすぐとか、お皿は持ってたべるとか、肘をついて食べないとか、音を立てない〜箸の持ち方〜魚の食べ方〜と、言い出すとキリがないほど無意識のマナーや決まりがありますよね?
きっとそんな感覚で、本人たちにはいたって普通のこと。
宗教的でない人たちでも、「そのほうが気持ちいいから。」と守っている人がいて妙に納得しました。
私の「和食にタイ米は無理」と言う自分ルールも、こちらではあまり理解されない。笑
何が違うの?とか言われてこだわり強すぎの人と見られます。(全然違いますよね!)
国が違えば価値観も感覚も違う!で、そこが面白い。
特に、食事のマナーや決まりにはその国特有の興味深い文化がいっぱい!というわけでコシェルを紹介します。
私のコシェル体験
あるユダヤ教のラビ(ユダヤ教の教師)
私が初めてコシェルと出会ったのは、あるユダヤ教のラビを日本に招待した時。
私たちは複雑なユダヤの食物規定がわからず、彼の食事には何かと苦労し失敗しました…
今となってはありえないのですが、私たちの失敗によって、ルールをいくつか破らせてしまったのに、彼は嫌な顔一つせず「ベストを尽くそうと努力することが大切。たとえうまくいかなかったとしても」と努力した我々に感謝し、にこやかに微笑んでいました。
ルールを粗末にするのでもなく、ルールだからと融通が利かない訳でもなく、敬虔に、謙遜に最善を尽くす姿勢。
しかも周囲の人を嫌な気分にさせない…なんと立派な人だろうと感銘を受けました。
ある金曜日、ラビが「一緒にシャバットの夕食をしないか?」と誘ってくれました。(シャバットってなに?)
シャバットの儀式に欠かせない”ぶどう酒”を用意したのですが、私たちの中にお酒の苦手な人がいることを知ると、「100%のブドウジュースを買いに行こう!」とお願いされました。
ところが行ったお店に100%ブドウジュースが無い。ウエ◯ルチとか何かしらはあると思ったのに、なぜか他のお店に行ってもない…
しかたなく果汁3%のぶどう味のジュースを買うのかな、と思ったのですが、ラビが買ったのは100%オレンジジュースでした。
彼は聖書の定める「コシェル」や「規定」の深い意味を考え、その核となるもの「神の言葉への真摯な心」を守っているのであって、盲目的にルールを守っているのではない!という姿勢に感動したのを覚えています。
ヘブライ大学の学生
イスラエルに来て数年した頃、学生たちを招いて、日本食パーティーをすることにしました。30人近く招待したのですが、ヘブライ大学は世俗的な大学なので大丈夫だろうと甘くみていたら…
・どこで買ったものかが知りたい(コシェルの店かどうか)
・紙皿と紙コップが必要(厳格な家庭は食器にもコシェルがある)
・何も食べないけど行ってもいいか(さらに厳格な方は外国人の作るものを食べない!)
などなどなど…
もちろん全く何も気にしない人もいるので千差万別。完璧なおもてなしはレベルが高すぎて不可能でした。笑
しかし、集まった全員が本当に満足そうに楽しんでいました。
それぞれ、食べれるものを食べたり、食べなかったりしながら…
ザックリルール説明
細かく言い出すとキリがなさすぎて私もわからないので、大まかなコシェルを説明します。
動物の屠殺方法
聖書の規定通りであるか?ということなのですが、基本的に「苦しませない屠殺方法」であり、その飼育方法についても動物にとって良いものであるかどうかのチェックがあります。
また、「命は血にある」とされ、血を飲むことはタブー。
血抜きは徹底して行われます。(だからイスラエルの肉はちょっと肉硬いよ。)
食べられるもの
反芻して(羊みたいにいつもモグモグしてる動物)なおかつ蹄が割れてる動物は食べられます。
豚は蹄が割れているけど反芻しないからNGなんですね〜。(あ…ルール上キリンは良さそうだな。)
海のものはヒレと鱗のあるものはOK。イカ・タコ・エビ系はダメです〜
※イスラエルは空前の寿司ブームですが、コシェルで食べられる魚は限られています。ネタの数が少ないのはそのせい。一般にはサーモンとマグロとアボカドだけが主流です。
乳製品と肉
聖書には「母親のミルクでその子を煮てはならない。」とあります。
聖書は動物に対しても憐れみの心を持ち、必要以上に苦しめたり殺したりしないよう教えるのですが、これを徹底的に守ると決めた彼らは、ミルクと肉が絶対出会わないよう(たとえお腹の中でも!)様々なルールを守っています。
例えば、レストランは乳製品を扱う店(ハラビー)と、肉料理を出す店(バッサリー)で分かれます。肉の出てくるお店では食後にコーヒーを頼んでもミルクは付きません。
バターで肉をソテーしませんし、クリームシチューに肉は入りません。ラザニアもチーズバーガーもピザのサラミもコシェルではNG。
家庭によっては食器にも肉用、ミルク用があって、シンクも2つ、冷蔵庫も保管庫も分かれていたりします。
スーパーでも肉コーナーと乳製品コーナーはしっかり離れて設置され、ホテルでも朝のバイキングは乳製品、夜のバイキングは肉料理と分かれているんです。
もちろんどこまで徹底的にするのかは人によるので、なんとも言えません。
コシェルにもランクがあり、より宗教的なコシェルから、ゆるいコシェルまで、マークによって分かれていたりします。
イスラエルのコシェル普及率
イスラエル紙Ynetによると、ユダヤ教ではない世俗的なユダヤ人の40%がコシェルを守っている、とあります。すでに文化として浸透しているのは体感でも感じます。
街のレストランやカフェ、シュックの各商店にも、「コシェル」の認定証書があったり、
食事に行く時や、友人を招く時には「今日はハラビーにする?バッサリー?」と最初に確認したり。
関係していると思うのですが、イスラエル人は食についてしっかり考えていて、食と命の教育水準が高いという印象があります。
(でも食べ残したり、こぼしたりはするから日本の食育とは少し違う。笑)
ある友人のお宅では、お父さんは確信を持ってコシェルを守らないユダヤ人、お姉ちゃんはビーガン、弟はベジタリアン。と、家庭内でもそれぞれの価値観を尊重しあっています。(お母さん大変…)
なんとビーガンは5%ほどいるそうです。やたら多いと思った!
ある人は、「イスラエルは草食動物の楽園。世界一ビーガンに優しい国!」と称していました。
食べられないものが多いのは辛い?
規則やルールだから守るのではなく、命について、信仰について、真剣に向き合ってきたからこその食物規定。この国でコシェルを知ってから、窮屈に思ったことは一度もありません。
むしろ、自分の「食」についても考える良い機会になり、肉を調理するときなどは「命」を意識するようになりました。
人間の贅沢の為に、機械的に飼育・屠殺される大量生産の仕組みについてコシェルは語っています。
それは「かわいそう」とか「動物愛護」ということよりも、命に対する感謝と責任。
食に対する本当の喜びと、この世界の秩序と摂理に目を向けることのように感じます。
具体的に禁止されていることで意識が変わり、食事が一層感謝と喜びに満ちたものになるから不思議。
また、コシェルの食文化は、意外にも豊かで独創的!!毎回驚きます。
イスラエルの食卓には制限があるとは思えない幸せと笑顔が溢れています。
美味しく食べよう!という試行錯誤は凄まじく、そこには「窮屈な決まり」を感じさせません。ビーガンも、ベジタリアンも、アレルギー持ちも、宗教者もそうでない人も、みんなが楽しめる「幸せな食」がこの国にはあり、むしろより自由度が高いと感じます。
そこがすごい。
以前は「ルール」と聞くと「拘束」という息苦しさを感じていたのですが、この国ではむしろもっと自由で、優しく、心地の良い響きを感じるようになりました。
コシェル食品は健康で安全?
さて、なぜかこんな誤解が一部の日本人にはあるようで首を傾げました。
「コシェルだから健康」は、「日本人は細い=日本食は痩せる=寿司はダイエット食」と思っているイスラエル人に会った時と同じ衝撃。(寿司は太るよ)笑
コシェルにもランクがあり、動物の飼育環境もコシェルだからと言って良いとは限りません。農薬たっぷり使っているものもありますし、添加物や砂糖、油がたっぷりの加工食品もあります。そして、肉料理と乳製品が一緒に食べられないので、スイーツは乳製品の代用品を好んで使用し、食物油脂やマーガリンは多いです。
また、農業先進国のイスラエルでは、遺伝子組み換えなどの研究も進んでいて、肯定的です。
食のこだわりが多様すぎるこの国では、「自分で考えて、自分で選ぶ」という自由度が高く、意識高い人も、低い人も不自由しません。そういう意味では健康的に生きることが容易い国であることは間違いないと思います。
最後に・・・
イスラエルで売られている日本のお醤油にも「コーシャ認定食品」の表記が!!
(…イスラエル人読めないと思うけど)
シャローム♡Yasuyoです!
ニッチな国イスラエル!
イスラエル人のパートナー宅にてイスラエル人家族と共に過ごした10ヶ月♡
イスラエルに来るまでは全く未知な、なんなら謎めいた場所だったイスラエルが、今や第二の故郷となりました♡
イスラエル人の情深く明るく陽気な家族と、とっても魅力溢れるローカルイスラエルLife!!をお届けしたいと思います。
シャバット(安息日)は家族で集まる
イスラエルでは毎週金曜日の日没から土曜日の日没までは「シャバット」と呼ばれる安息日。
シャバットの際は家族が集まり皆んなで食卓を囲むのが習慣のイスラエル!
みんな料理を各家庭からそれぞれ持ち寄って、食事を楽しみながら、テンション高めに会話を繰り広げるのがイスラエル式!笑
イスラエル人は皆が政治の話に前のめり!政治の話から、はたまたたわいもない話まで、こちらも全員前のめりで話が止まない感じです笑
日本だと家族の繋がりが気薄になっているイメージではありますが、イスラエルは毎週、シャバットで家族に会って一緒に食事を楽しむので家族感の繋がりが濃い♡
イスラエル人ママの手料理
パートナーのママは手料理がめっちゃ上手で、毎日キッチンにずっと立っているくらいお料理が大好き!
そのお陰で、毎日沢山のイスラエル料理を頂いてます♡
ヘビロテはファラフェル!(ひよこ豆のコロッケ)
ピタパンにイスラエル名物ファラフェルやフライトポテトetc..自分の好きな具材を詰め込み食べるスタイルで、日本でいうところの手巻き寿司みたいな感覚♡
各自それぞれお気に入りの作り方があったりして、わいわいしながら作ります。
最後にタヒニ(白ごま)ペーストを垂らして食べたるのがベスト♡
そして、デザートによく食べるケーキもいつも全てママの手作り♡
こちらは、イスラエル人が大好きな「クナファ」!
モケモケ部分や中のクリームが控えめな甘さで新食感で超美味なんです♡
クナファは、イスラエルにいらした際は是非とも食べて頂きたい新感覚なデザートです♡
いつまでもラブラブな夫婦
イスラエル人のパートナーの実家に住んで一番感じることは、パートナーのご両親が若かりし頃のカップルのように、いつもラブラブなこと♡
ただいま〜のキスや、手を繋いだり、いつも2人で寄り添ってちょっかいをかけてケタケタと笑い合っていたり…こちらが恥ずかしくなってしまうくらい、幾つになってもラブラブな事が本当に素敵だなって感じる一番のことでした!
彼のご両親のラブラブぶりをみて、私達も幾つになってもそうありたいなって改めて感じたり、日々の些細な愛情表現って本当に大切なんだなぁと改めて感じました♡
そんな愛情深さが溢れるイスラエル♡
百聞は一見にしかず!
profile
Yasuyo
イスラエル人をパートナーにもつ上海在住の日本人ネイリスト。
この度、ひょんな事からイスラエル人パートナーの実家に居候、イスラエルにて長期滞在をしています。リアルな異国情緒溢れる、イスラエルを発信します♡
↓↓About me↓↓
https://linktr.ee/yasuyokinugasa
第4次中東戦争の跡地「ベンタル山」の眺め
ゴラン高原は戦略的に大切な土地で、古代の歴史でも、現代イスラエル建国に伴う数々の戦争の中でも重要な戦いがあった場所です。
侵略だ!紛争だ!と世界中が発信する現場では何が起こっているのか。
自分の目で、耳で、視点を変えて学ぶことはきっと新しい閃きを与えてくれるはず。
平和ボケした私の頭をガツン!と目覚めさせてくれたのもこの平和な土地でした。
ベンタル山
鶴の群が空を覆いワシが巣を作り、鹿が歩き回る命に満ちた土地、ゴラン高原のシリア国境に位置するベンタル山では、イスラエルの勝ち取った平和とその景色を一望できます。
ベンタル山からは、ガリラヤの山々とシリア平原の両方を見渡す美しい景色を見ることができます。
駐在するUNの監視員はまるでガイドで、質問すれば色々語ってくれるから暇そうにしていたら声をかけてみて!
ベンタル山に行ったらコーヒー好きさんは忘れずに「Coffee Anan」というシャレの効いた名前のカフェに立ち寄ってください。ここのコーヒーは美味しいです。
景色を眺めながらコーヒーとケーキを楽しむのもオツ。
戦争って何だろう…普段は入り込まないような深い問いで世界を見つめてみるのはどうですか?
ここは「ヨムキプール戦争」という、まるでハリウッド映画の脚本にもなりそうな戦争が起きた場所。
ヨムキプールはイスラエルの最も厳粛な祭りの一つで、普段全く宗教的でない人を含むイスラエル人の80%が断食をし、空港も閉め、国の機能が停止する日。
そんな日に奇襲攻撃でシリア・エジプト軍が攻めてきた戦いです。
圧倒的な数と力の差、相手の弱みをついた完全なタイミング。
勝利を確信していたはずのシリア・エジプト軍の数はイスラエルを圧倒していました。
絶対絶命、国を失う寸前まで追い詰められたイスラエル。
まさに事実は小説より奇なり。
興味のある方にはこの一冊をおすすめします。
ゴラン高原はシリア?イスラエル?
2019年、アメリカのトランプ大統領がゴラン高原について、「イスラエルの主権を認めるべき」と表明し、世界がざわついた記憶がある人にはぜひ訪れて欲しい地。
ニュースでは語り尽くされないニュアンスを知ることができれば、世界情勢にもっと関心が高まるはず。
例えば、「 カツリン/Qtsrin」にあるビジターセンターではゴランマジックという体験型映画を通してイスラエル側からの戦争を学ぶことができます。
HP:http://www.magic-golan.co.il/site/index.asp?depart_id=28111&lat=en
第4次中東戦争の激戦地(ヨムキプール戦争)
日本で「ゴラン高原」「シリア国境」と言うととんでもなく危険な場所だと思われがちで、まさか呑気に観光してますとは言えないことがあります。
今や世界は情報社会で、ネットさえあれば何でも知ることができる(と思わせる)便利な時代になりましたが、その情報の確かさについては無頓着で、フェイクや悪意の情報が増え、真実は益々見つかりにくくなっている気がします。
私も例に漏れず平和ボケしたゆとり世代一歩手前の人間で、決して誇れるものはありませんが、イスラエルにいると否応無く気づかされるものの多さに、いつも目が覚める思いです。
そのうちの一つ。
「ベンタル山」での思い出を紹介します。
初めてのゴラン高原・ベンタル山
私が最初に訪れたのはイスラエルに来たばかりの2016年。
シリア内戦については激しさを増し、イスラム国の参入で泥沼化するニュースを知るのみでした。
シリア国境のこのゴラン高原も度々、シリアやヒズボラからのロケットを迎え撃つ地として、「近づくべからず」と思っていた場所です。
ところが友人が良いところへ連れて行ってあげる!とガリラヤから車で1時間ちょっと、連れられてやって来たのがゴラン高原、そしてベンタル山でした。
言われるまでは何も気づかない穏やかな大自然。
その時は夏の終わり頃で、赤茶けた大地と農作物のコントラストが豊かで美しい印象でした。
すっかり気に入って、雨季の2月に訪れた時は冷たく澄んだ空気の中、雪をかぶった雄大なヘルモン山を望み…4・5月頃は花と緑が美しく、それもまた素晴らしい眺めでした。
この場所で、たった数十年前(1973年)熾烈な戦いがあり、多くの嘆きと涙とともに命が失われたことなど信じられないほどののどかさ…
ヨムキプール戦争(第4次中東戦争)
「ピンチの時こそ、その人の真価が問われる」と聞きますが、国もそうではないでしょうか?
絶体絶命のその瞬間、一番大切なもの、守りたいものは何なのか…何を優先し、排除すべきは何か?
一刻一秒を争うときにこそ、その国のあり方が見えてくると思います。
さて、ヨムキプール戦争について、ここに述べることはあくまでも主観です。
あまり賢くは無い一般人の私が、見聞きしたことを心の赴くままに書きますが、視点が変われば印象は180度変わることでしょう。
イギリスが退いたこの地に、イスラエルが建国の宣言をしたことを合図に、周辺イスラム諸国との戦争が勃発しました。
イスラム諸国にはイスラエルの存在を認めることなど許されず、叩き潰す以外の選択肢は無いと言う問答無用の戦い。
(果たしてこの地がその時点で誰のものであったのか?立場によって大きく意見が割れます。)
迎え撃つイスラエル側は、ナチスドイツのホロコーストを生き延びた生存者たちもこの建国の戦いに加わったと聞きます。
お互いに絶対譲れない命がけの戦い。
イスラエルにしてみれば、1900年間世界中で迫害を受けてきた民族の存亡をかけた戦い…彼らが自分たちの国を建てるチャンスはあの瞬間のみだったことは確かです。
第4次中東戦争は、先の3回でイスラエルが拡大した土地の奪還を目的に、エジプトとシリアが同時に南北を奇襲するという作戦でした。
その計画の日が、イスラエルで最も厳粛な「大贖罪日(ヨムキプール)」の祭りの日を選んで決行されたことから、「ヨムキプール戦争」と呼ばれます。
この祭り、簡単に言うと、断食して神の赦しを祈り求める日で、働かず、運転せず、食事せず…と言う祭りです。(空港も閉め、国の機能が停止する日。)
普段宗教に無関心な者までも、ヨムキプールだけは断食する…と聞きます。
今ではこの日が近づくとヨムキプールの断食の過ごし方!と言う特集がテレビで大人気。日本のお正月を超える浸透ぶりです。
昨年はユダヤ人の80%断食したと報道されていました。
敵からすれば、これ以上無い奇襲作戦の決行日。
シリアとエジプトはそれを実行したのです。
当時、国境警備隊すらヨムキプールの休みで家に帰っていた…と言うのですから、中東戦争の激しかった当時の緊張感の最中に、そんなバカな!?と思いませんか。
奇襲攻撃を受けたとき、ここゴラン高原ベンタル山付近の戦車を動かしたのは現役兵ではなく、住民たちだったと言います。
攻めてきたシリア軍の戦車1400台に対し、スラエル軍の戦車はたった180台。しかも乗ってる人が現役じゃ無い???
なぜ心折れず、最後まで諦めず勇敢に戦い抜き、この地を守りきることができたのでしょうか?
戦いの4日目にはイスラエル軍の防衛が崩壊寸前になったのですが、シリア軍は突然の撤退。いるはずのないイスラエルの大軍の幻想を見た…と言う兵士までいるとか。
イスラエルでは神の戦いだと信じる者も少なくありません。
この地に立つといつもイスラエルの不思議な力の前で、平和にボケて、無力で小さな自分のあり方を見つめ直します。
私の本当に大切なものは何か、その為に命をかけて守れるか…。
涙の谷 / Valley of Tears
ベンタル山から少し北上したところにある涙の谷は、ヨムキプール戦争の跡地にある小さな記念碑です。
周辺には未だに当時の地雷が埋まったまま。
黄色い注意書きがあちこちにあります。
そんな土地でゆったり放し飼いにされている牛たち。(大丈夫なのか)
そして、今でも動く戦車。
イスラエルが命をかけて守り、建て上げている平和は、偽善に満ちた綺麗事などに構っている余裕や暇はないのだ…と理解しました。
どちらにもある守るべきもの、それぞれの正義。
シリア内戦の真っ只中だったこの時、風に乗って漂う火薬の臭いと、遠くに聞こえてくる銃撃、爆撃音は忘れられません。
国境が持つ意味と、国と国民を守り、平和を維持するということがいかに得難いことであるか。
また、命の上に成り立つ平和を当たり前のように生きていきた自分の甘さ。
戦争について真面目に学んでこなかったこと。
他国の歴史や戦争はどこか他人事で、だけど「戦争は反対」と大した根拠なく思っていた自分の考えの無さ。
そんな私が偉そうに書けることは一つも無いんですが…。
ベンタル山のコーヒー
ベンタル山の駐車場からの道に飾られている可愛らしいアート作品の数々は、戦争時に出た残骸で作られたもの。
戦争と犠牲の上に立っていることを忘れず、けれども憎しみや怒りを継承するのではなく、生活を彩る物として新しい命を込める。
実にイスラエルらしいアートだと感じました。
イスラエルらしい、と言えばもう一つ、ベンタル山の頂上にある「コーヒーアナン」。
ヘブライ語で「アナン」は雲なので、「雲珈琲」と言う感じでしょうか。
しかし、国連総長だったコフィー・アナンがチラつく名前にクスッと笑えてきます。
さすが、どんな悲惨な時でもユダヤジョークで笑い飛ばす国民性。笑
絶対わざとだ。笑
このCoffee Annanのカフェラテは行ったら必ず買います。
見晴らしも居心地も良い小洒落たカフェなので、ランチやティータイムにゆっくりと過ごせますよ。
ホロコースト博物館「ヤド・バシェム」で生きることを考える
「ホロコースト」とは、ナチスドイツがユダヤ人らに対して組織的に行った大量殺戮のことです。
国家的に行われた「絶滅政策」によって亡くなったユダヤ人の数は約600万人と言われていて、現在も捜索が続けられています。
日本でも「アンネの日記」「シンドラーのリスト」「杉原千畝」の本や映画で触れた人も多いのでは?
けれども私はここで、そんな知識をゼロにするほどの衝撃と向き合いました。
ヤド・バシェムが人類に伝えたい「警笛」

公認ガイドから「ヤド・バシェムが伝えたいのは被害者の視点ではない。」と語られたことが印象的で、「可愛そう」「なんてひどいの!」という見方をすることなく、謙遜に学ぶことができました。
「全ての人が、加害者にも被害者にもなり得る」
ヤドバシェムのテーマです。
ミュージアムでは、ホロコーストがどのようにして先進国ドイツで正当化されていったのかが、歴史と世論の流れを追う形で分かりやすく紹介されています。
展示や紹介されている何人もの証言とその足跡を追うことで、「他人事」ではなく、私にも手渡されている遺産として受け取る体験となりました。
歩みを進めるほどに見えてくる被害者と加害者、双方の顔。
どちらも自分と変わらぬ普通の人であることには言葉もありませんでした。
ここには「諸国民の中の正義の人」のための森があります。
一本一本植えられた木の根元に刻まれている名は、自らの生命を危険に晒してユダヤ人を救った人たちのもの。
彼らの困難な物語が語られるたびに感じた魂の震えを表現できません。
「私」という人間ははすぐに裁判官や審判になりたがる。
物事を良い悪いと批判し、簡単に口を挟むけれど、自分と愛する人の命を天秤にかけられた瞬間、同じことは言えなくなる。
私の中の常識や良心というものがいかに脆く、頼りないかという事実に恐ろしくなりました。
驚くことに、ここでは被害者であるユダヤ人を正当化することはしません。
被害者もまた、同じように「生き残るために」という非情で残酷な選択の中にいるという事実がありのまま語られます。
生きるために何を捨てるのか?
そのタイミングに命がかかっている…。
ある人は、家と国を捨て、またある人は人としての心を。
ある人は家族を、友を、希望を捨て…。
しかしそんな地獄の中で「絶望や憎しみ」を捨て、希望を持って生きた人たちに出会ったあの瞬間を私は生涯忘れないと思います。
ホロコースト研究の最前線施設

この施設は犠牲者を追悼するための記念館だけではなく、今尚続くホロコースト研究の最前線施設でもあります。
(公文書保管、出版、教育、国際研究学校、ユダヤ教の会堂、記念碑、関連芸術作品の保存と展示など・・・広大な敷地内に様々な施設が併設。)
年々減ってゆく歴史の生き証人「ホロコーストサバイバー」たちの証言を残す活動や、未だ見付かっていない被害者家族の捜索活動も行われています。
被害者ひとりひとりの名前と人生を追い、刻み、残そうとする果てしない取り組みです。
ヤド・ヴァシム公認ガイド

博物館内は入場無料ですが、初めてならガイドの有無は天と地の差。
深いテーマなのでガイドを付けることをおすすめします。(ヤド・ヴァシェムHPから要予約)
実は、ヤド・ヴァシェムには「石堂ゆみさん」という日本人唯一の公認ガイドがいらっしゃいます。
彼女はイスラエルでジャーナリストをする傍、無償でこのミュージアムのガイドをされています。(ヤドバシェムの働きへの献金としてガイド料は全額寄付)
ただ真っ直ぐに「伝えたい」という思い一つで語る言葉には力がありました。
最後に…
ここヤド・ヴァシェムは、ユダヤ人が体験した歴史の闇…ではなく、次の命への問いとして繋ぐ世界の遺産だと思います。
深いテーマに一歩ずつが重くて、本当に疲れました。
だけど、ここを素通りしなくて本当によかった。
ヤド・ヴァシェムで私の中に刻まれたものは決して悲しみや憎しみではなく、「命」でした。
ぜひ、ガイドを依頼して一日ヤド・ヴァシェムで過ごしてみてください。
ヤド・ヴァシェム公式HP https://www.yadvashem.org
入場無料です。有料の英語のイヤホンガイドのレンタル有り。
ガイド(有料)の予約もここから可能。
アクセス
ライトレールの「Har Herzl(ハル・ヘルツェル)」(現在終点)から徒歩10分
(数は少ないですがシャトルバスもあります)
湖畔にたたずむ人生再スタートの教会
ガリラヤ地方に来たら知りたい新約聖書の物語1/2の続きです。
5つのパンと2匹の魚の教会のすぐ隣。
車で来た人は、パンの奇跡の教会に駐車したまま歩いて行きましょう。
ペテロとイエスの再会の舞台はガリラヤ湖の岸辺。
教会の中はイエスが朝食を用意した岩とされる場所があります。
小さいながらも声の響く教会で、団体客の歌う賛美歌がとても美しい!
歌っている人たちがいたらちゃっかり参加しちゃいましょう。
ストーリー
ここでの物語は、割と伏線回収になっていて、長くなるのでやめておきます。
私も非常に感動した物語なので、いつか記事にして書きますね。
かなり簡単に言うと、イエスを裏切り、挫折したペテロを、ここでイエスが許し、ペテロは使命を受け取る・・・と言う物語。
話は変わって、ここで!!有名な「ピーターズフィッシュ」
この地域でよく食べられる人気のメニューなのですが、このペテロが元になっています。
弟子ペテロが心折れて漁に出た時、イエスが岸辺で魚を焼き、朝食を用意して待っていてくれていた話とか、払うべき税金が無い時に、コインをくわえた魚が釣れた!とか色々魚にまつわるお話はあるんですが・・・まぁ、ペテロはガリラヤの漁師ですもんね。
そんなわけで、聖地巡礼に欠かせない「ピーターズフィッシュ」
ちょっと高めですが、とっても美味しいですよ!レモンと醤油、割り箸を持参してトライ!
営業時間
月– 金 8:00 – 16:45
土 8:00 – 14:45
休:日
トイレ有料
入場無料・寄付あり
カペナウム/Capenaum
最後の1箇所をどこにするか迷いましたが、巡礼ならやっぱりここは外せない・・・!
でも一日3本ほどしかないので、バスで行く人は要注意です。
タプハから湖畔沿いを歩くと30分ほど、涼しければ歩くコースも気持ちいいです。
イエスが移り住み、弟子たちを教えた村で、一番弟子?のペテロの実家跡や、
イエスが教えた会堂(シナゴーグ)跡があるとされます。
ちょっと広い場所で、メインは教会というよりも、この村全体。
考古学的に面白い当時の家や町の様子が見られます。
ペテロの家と呼ばれている遺跡を覆うように会堂が建てられており、建物の中から見えるようになっていますが、礼拝中で入れないことも多いです。
カペナウムのストーリー
(Mark/マルコ2章1-12)
イエスは30歳で弟子をとり、多くの人に教え始めたのですが、それはもう大人気で、遠くから群集がイエスの元に集まってきたと書かれています。
古代風「バズってる」という感じだと思います。
その教えに驚き、また、長年患っていた病気や障がいが次々治る!という奇跡の噂も瞬く間に広まったようです。
そんなある日、カペナウムにイエスがいる!と聞きつけ、多くの人がその家に押しかけました。戸口のところまで隙間がないほどの混雑だったそう。
そこに担架に乗せられて病人がやってきます。しかしイエスに近づける隙間がない・・・。
すると友人らは屋根を剥がして、天井からイエスのもとに病人を下ろしたというのです!!
しかし・・・人気の出すぎるところにアンチあり。
大人気の裏で、それまで聖書の権威だったお偉いさんたちが大炎上していたわけです。
(Mark/マルコ3章1-6、Luke/ルカ 5章17-26)
ある安息日(シャバット)にカペナウムの会堂でイエスが教えていた時、手が萎えて動かない人がやってきました。
イエスが、働いてはいけないシャバットに、この人の手を癒すかどうかアンチは固唾を飲んでみていました。
(この頃は今より厳しくシャバットに「働く」とみなされる全てが禁止されていたみたいです。)
手を治したら「安息日のルール破ってる!」
手を治さなかったら「やっぱり治せないインチキなんだ!」
どっちにしろイエスを吊るし上げる大炎上の火種。この時ツイッターがあったら大荒れです。
その時、イエスが会衆に向かって言った言葉がこちら。
「安息日にして良いのは、善を行うことなのか。それとも悪を行うことなのか。命を救うことなのか。それとも殺すことなのか。」
その言葉にみんなグーの音も出なかったようです。
他に登場する聖書のカペナウム
ローマの百人隊長の部下を癒す (Matthew/マタイ 8章5-13)
汚れた霊に取り憑かれた人を癒す (Mark/マルコ 1章21-26)
弟子のペテロの母を癒す (Mark/マルコ 1章29–31、 Luke/ルカ 4章38–41)
営業時間
月– 金 8:00 – 16:45
土 8:00 – 14:45
日 11:00 – 16:45
トイレ有料
入場無料・寄付あり
アクセス
バス停 Kfar Nahum Intersection No.52/142/
バス停から徒歩16分
駐車場無料
最後に・・・
不動のベストセラー「聖書」の中のイエスに触れてみると、西洋諸国や欧米の価値観の基礎が見えて来ます。
でも面白いのは、もともとのストーリーと文化は中東のものなのに、建っている教会は西洋のもの・・・と言うねじれ現象がおきていること。しかしイエスその人は、どちらかと言うと、アジア人の私たちに馴染みやすい人だと感じました。
(「ガリラヤの巡礼②」記事あり)
ノルウェー出身のイスラエルの友人が、初めて日本を訪問した時…
「信じられない!日本中がクリスマスをお祝いしていたわ!」と非常に驚いていました。
キリスト教国じゃない日本でも、クリスマスの飾り付けが街に溢れ、ジングルベルが聞こえてくる12月…恋人たちがそわそわするせいでしょうか、信仰心がなくてもなぜか雰囲気が盛り上がって来ますよね♪
そしてやっぱり本場のクリスマスに憧れる人も多いのでは?
「西洋諸国のクリスマスマーケットの華やかさや、本物のサンタクロースやトナカイ!キラキラ輝くイルミネーションとツリーに、雪の降る美しい背景と暖かな暖炉を囲むクリスマスの景色♡」
何を隠そう私もそんなクリスマスに憧れて育ち、イスラエルへやって来ました。
日本人の知らないクリスマス「ベツレヘム編」
今パッと思いつくクリスマスの全てのイメージは、西洋のクリスマス…
なんと本当のクリスマスの舞台は、ここ中東なんです!
砂だらけの荒野と椰子、羊を放牧し、雪の降らないノーホワイトクリスマスです!笑
ちなみに緑も赤も無い。あるのは一面砂の色。
はい。私も例にもれず、中東イスラエルのクリスマスには衝撃を受けました。
「なんか違う感」がすごい。(いや、私が違うんでしょうけど)
こちらが12月24・25日、エルサレムの新市街です。
超普通。クリスマス商戦?ありません。笑
ちなみに、12月31日も1月1日も平日なので日本との空気感真逆です。
イスラエルはクリスマスを祝わない?!
そんなクリスマスの舞台の場所なのですが…
クリスマスは、「聖書で預言されているユダヤ人の救い主(メシア)が誕生した!」というお祝いなので、ユダヤ教では認められていないキリスト教のお祭りです。
(アメリカンコロニーなど、クリスチャンの一部コミュニティでは祝われています)
ユダヤ教とキリスト教の間には、この救い主イエスについて、血なまぐさい複雑な歴史があり、ユダヤ人の多くはクリスマスに対して酷いトラウマさえあったりします。(この話、長くなるので今回は割愛)
そんなこんなで、クリスマスの本場であるはずのイスラエルでは、クリスマスの「ク」の字もなく、なぜか日本の方が余程クリスマスを楽しんでいるわけです。不思議なねじれ現象。
キリスト教徒の多くが、クリスマスのイスラエルにやって来てがっかりする…というのが、クリスチャンあるある。
イエスが生まれたのは現在アラブ人の街「ベツレヘム」
この街は西岸地区にある、アラブ人たちの街。
知らない人も多いのですが、ベツレヘムに住むアラブ人たちの中には古くからのキリスト教徒も沢山いて、イスラム教のアラブ人たちと仲良く暮らしています。
ベツレヘムではクリスマスが産業となって街を支えているほど!
イスラム法では、他の宗教の建物は破壊するようにとされていますが、ここベツレヘムにある生誕教会は、古くから生き続ける歴史ある教会で、戦争の最中でも日曜の礼拝を途切れることなく1000年程続けているんだとか。
これは、世界で最も長く守られている礼拝です。
争いも勿論ありましたが、教会がアラブ人を助けた歴史もあり、今となっては共存し、平和を保っているらしい!素敵!
だからこそ、この街にはアラブの文化には無い、西洋のクリスマス風なのがあちこちにあって、なんだか違和感だらけのクリスマス感が漂っています。笑
ツリーもサンタも聖書には出てこない
恋人たちの日では無い。というのは皆さん薄々分かってらっしゃると思いますが、そもそも私たちが知っているクリスマスグッズは聖書には登場しません。
ツリーとか、リースとか、サンタとか、赤とか緑とか、トナカイも煙突も靴下もプレゼントすら…ない。
これらはキリスト教がヨーロッパに渡っていった後、その土地の土着のお祝いを聖書と結びつけていったと言われています。
フィンランドやノルウェーといったセンス抜群の国で生まれ育ったおかげで、現代のクリスマスはきらびやかなんですね~!
そしてこちらが本場ベツレヘムの生誕教会のキラキラです!!
どうですか?なんでしょう…この異国感。笑
世界中から押し寄せてくるキリスト教徒たちが、イエスの生まれた(とされる)場所を一目見よう、ちょっとでも触れよう、そこで祈りたい!と願い年中長蛇の列を作っています。
待ち時間2時間なんてこともざらにあり、ファストパスのような謎のシステムさえ存在します。(地元アラブ人ガイドにお金を払うと先に通してくれるらしい。笑)
特に12月24・25日クリスマス当日のベツレヘムの混雑は尋常ではなく、何度かチャレンジしようとして、未だ行けていません。笑 せっかく住んでいるのに。
しかし、1年中クリスマスの街として存在しているので、ぜひぜひ「アラブ×クリスマス」というワンダーランドへ足を運んでみては?
※西岸地区に行く時は必ず現地の情報を確認してご自身で判断してください。「注意!西岸地区へ訪問する前に必ずチェック!」