第4次中東戦争の激戦地(ヨムキプール戦争)
日本で「ゴラン高原」「シリア国境」と言うととんでもなく危険な場所だと思われがちで、まさか呑気に観光してますとは言えないことがあります。
今や世界は情報社会で、ネットさえあれば何でも知ることができる(と思わせる)便利な時代になりましたが、その情報の確かさについては無頓着で、フェイクや悪意の情報が増え、真実は益々見つかりにくくなっている気がします。
私も例に漏れず平和ボケしたゆとり世代一歩手前の人間で、決して誇れるものはありませんが、イスラエルにいると否応無く気づかされるものの多さに、いつも目が覚める思いです。
そのうちの一つ。
「ベンタル山」での思い出を紹介します。
初めてのゴラン高原・ベンタル山
私が最初に訪れたのはイスラエルに来たばかりの2016年。
シリア内戦については激しさを増し、イスラム国の参入で泥沼化するニュースを知るのみでした。
シリア国境のこのゴラン高原も度々、シリアやヒズボラからのロケットを迎え撃つ地として、「近づくべからず」と思っていた場所です。
ところが友人が良いところへ連れて行ってあげる!とガリラヤから車で1時間ちょっと、連れられてやって来たのがゴラン高原、そしてベンタル山でした。
言われるまでは何も気づかない穏やかな大自然。
その時は夏の終わり頃で、赤茶けた大地と農作物のコントラストが豊かで美しい印象でした。
すっかり気に入って、雨季の2月に訪れた時は冷たく澄んだ空気の中、雪をかぶった雄大なヘルモン山を望み…4・5月頃は花と緑が美しく、それもまた素晴らしい眺めでした。
この場所で、たった数十年前(1973年)熾烈な戦いがあり、多くの嘆きと涙とともに命が失われたことなど信じられないほどののどかさ…
ヨムキプール戦争(第4次中東戦争)
「ピンチの時こそ、その人の真価が問われる」と聞きますが、国もそうではないでしょうか?
絶体絶命のその瞬間、一番大切なもの、守りたいものは何なのか…何を優先し、排除すべきは何か?
一刻一秒を争うときにこそ、その国のあり方が見えてくると思います。
さて、ヨムキプール戦争について、ここに述べることはあくまでも主観です。
あまり賢くは無い一般人の私が、見聞きしたことを心の赴くままに書きますが、視点が変われば印象は180度変わることでしょう。
イギリスが退いたこの地に、イスラエルが建国の宣言をしたことを合図に、周辺イスラム諸国との戦争が勃発しました。
イスラム諸国にはイスラエルの存在を認めることなど許されず、叩き潰す以外の選択肢は無いと言う問答無用の戦い。
(果たしてこの地がその時点で誰のものであったのか?立場によって大きく意見が割れます。)
迎え撃つイスラエル側は、ナチスドイツのホロコーストを生き延びた生存者たちもこの建国の戦いに加わったと聞きます。
お互いに絶対譲れない命がけの戦い。
イスラエルにしてみれば、1900年間世界中で迫害を受けてきた民族の存亡をかけた戦い…彼らが自分たちの国を建てるチャンスはあの瞬間のみだったことは確かです。
第4次中東戦争は、先の3回でイスラエルが拡大した土地の奪還を目的に、エジプトとシリアが同時に南北を奇襲するという作戦でした。
その計画の日が、イスラエルで最も厳粛な「大贖罪日(ヨムキプール)」の祭りの日を選んで決行されたことから、「ヨムキプール戦争」と呼ばれます。
この祭り、簡単に言うと、断食して神の赦しを祈り求める日で、働かず、運転せず、食事せず…と言う祭りです。(空港も閉め、国の機能が停止する日。)
普段宗教に無関心な者までも、ヨムキプールだけは断食する…と聞きます。
今ではこの日が近づくとヨムキプールの断食の過ごし方!と言う特集がテレビで大人気。日本のお正月を超える浸透ぶりです。
昨年はユダヤ人の80%断食したと報道されていました。
敵からすれば、これ以上無い奇襲作戦の決行日。
シリアとエジプトはそれを実行したのです。
当時、国境警備隊すらヨムキプールの休みで家に帰っていた…と言うのですから、中東戦争の激しかった当時の緊張感の最中に、そんなバカな!?と思いませんか。
奇襲攻撃を受けたとき、ここゴラン高原ベンタル山付近の戦車を動かしたのは現役兵ではなく、住民たちだったと言います。
攻めてきたシリア軍の戦車1400台に対し、スラエル軍の戦車はたった180台。しかも乗ってる人が現役じゃ無い???
なぜ心折れず、最後まで諦めず勇敢に戦い抜き、この地を守りきることができたのでしょうか?
戦いの4日目にはイスラエル軍の防衛が崩壊寸前になったのですが、シリア軍は突然の撤退。いるはずのないイスラエルの大軍の幻想を見た…と言う兵士までいるとか。
イスラエルでは神の戦いだと信じる者も少なくありません。
この地に立つといつもイスラエルの不思議な力の前で、平和にボケて、無力で小さな自分のあり方を見つめ直します。
私の本当に大切なものは何か、その為に命をかけて守れるか…。
涙の谷 / Valley of Tears
ベンタル山から少し北上したところにある涙の谷は、ヨムキプール戦争の跡地にある小さな記念碑です。
周辺には未だに当時の地雷が埋まったまま。
黄色い注意書きがあちこちにあります。
そんな土地でゆったり放し飼いにされている牛たち。(大丈夫なのか)
そして、今でも動く戦車。
イスラエルが命をかけて守り、建て上げている平和は、偽善に満ちた綺麗事などに構っている余裕や暇はないのだ…と理解しました。
どちらにもある守るべきもの、それぞれの正義。
シリア内戦の真っ只中だったこの時、風に乗って漂う火薬の臭いと、遠くに聞こえてくる銃撃、爆撃音は忘れられません。
国境が持つ意味と、国と国民を守り、平和を維持するということがいかに得難いことであるか。
また、命の上に成り立つ平和を当たり前のように生きていきた自分の甘さ。
戦争について真面目に学んでこなかったこと。
他国の歴史や戦争はどこか他人事で、だけど「戦争は反対」と大した根拠なく思っていた自分の考えの無さ。
そんな私が偉そうに書けることは一つも無いんですが…。
ベンタル山のコーヒー
ベンタル山の駐車場からの道に飾られている可愛らしいアート作品の数々は、戦争時に出た残骸で作られたもの。
戦争と犠牲の上に立っていることを忘れず、けれども憎しみや怒りを継承するのではなく、生活を彩る物として新しい命を込める。
実にイスラエルらしいアートだと感じました。
イスラエルらしい、と言えばもう一つ、ベンタル山の頂上にある「コーヒーアナン」。
ヘブライ語で「アナン」は雲なので、「雲珈琲」と言う感じでしょうか。
しかし、国連総長だったコフィー・アナンがチラつく名前にクスッと笑えてきます。
さすが、どんな悲惨な時でもユダヤジョークで笑い飛ばす国民性。笑
絶対わざとだ。笑
このCoffee Annanのカフェラテは行ったら必ず買います。
見晴らしも居心地も良い小洒落たカフェなので、ランチやティータイムにゆっくりと過ごせますよ。