2020.04.27

人気の観光地「マサダ」の物語

Photo by Cole Keister on Unsplash

世界遺産でもあるこの孤立した大地の絶景は、何も知らずに訪れる者にも異世界の興奮を与えてくれます。

日を遮るものの無いむき出しの斜面には、男性が並んで歩くには狭すぎる一本の小道しかありませんでした。

この小道は山頂までジグザグに続いていて、その見た目から「蛇の道」と名付けられています。

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この難攻不落の要塞はヘロデ大王の建設です。

水道を通し、立派なローマ式の浴槽や巨大な食料貯蔵庫が完備され、遺跡に訪れるとその財力と技術力に、ヘロデがどれほどの力を持っていたのかが伺えます。

今回はそんなマサダのことを書いてみます。難しそうに聞こえるかもしれませんが、知って現地に行くときっと、景色が違って見えると思うのでぜひ読んでみてください♪

ユダヤ人国家存続、最後の戦い

さて、ここで起きた有名な事件「ユダヤ・ローマ戦争」。

なんだそれ?ですよね。

2000年近く前、かなり栄えていたヘロデ大王の死後、この地域はローマの支配下になります。

さすがローマ帝国。すごい軍事力で世界を制覇していってるわけです。・・・よね?笑

そんな時代にユダヤの民が起こした反乱が「ユダヤ戦争」。

この戦いの何がそんなに大事なのか!それは、このマサダの戦いこそユダヤ人国家存続の最後の戦い。

このマサダで、ユダヤの民は世界に散って消えたわけです・・・。

その期間は1948年の建国まで。つまり今のイスラエルが建国するまで!!

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イスラエル建国後、このマサダに立った兵士たちの気持ち。

想像できるでしょうか?

一度でも国を追われ、祖国を失ったことのない私たちには、想像を絶する思いがあるだろうと思います。

しかも、散った先々で激しい迫害に合い続け、国のない苦しみをそのDNAに刻み込んでいる・・・彼らがここに立つ思いに心寄せていると・・・。

私なぜか涙込み上げてきた(なぜ)

このストーリー聞くともう、ほんとマサダが感動の山に変わるので、ストーリーテラー絶対必要!

マサダ最後のストーリー

西暦66年にローマ帝国との戦争が始まりました。

70年にローマ軍によってエルサレムが陥落し、神殿が破壊された後、女子供を含むユダヤ人残党967人がマサダに立てこもり、ローマ軍10,000人がこれを包囲しました。

その戦力の差、10倍!

ローマはマサダの周りに厚い石壁と、石垣を巡らした八つの陣地で取り囲み、頂上に至る土手を作り始めます。

これは長さが約200m、 高さ約55mにせり上がる人工の傾斜地。

その包囲跡と土手は、今もはっきり見ることができます。

圧倒的不利な状況にも関わらず、この籠城をおよそ3年。しかも悠々自適に続けた・・・と聞くと、このマサダ要塞の貯蔵の凄まじさに驚きます。

しかも、ローマ軍の記録によれば彼らが門を破って入った時、あと7~8年は耐えうる貯蓄量だったと記されているらしいのです。

しかし、ついにローマが扉を破って入って来る日がやってきます。

・・・つまり、イスラエル陥落の最後の晩。

彼らが選んだのは集団自決でした。

歴史家ヨセフスはこう記録しています。

「すべての者が家族を殺した。……残った者を殺す10人をくじで選び、各自は妻子のかたわらに横たわった。そして妻子を腕に抱き、この痛ましい務めを果たさなければならない者たちに自らののどを突き出した。10人はひるむことなくすべての者を殺し、今度は互いのために同じ手続きを踏んだ。……しかし一人の老女ともう一人……が逃れた。……女と子供を含め、犠牲者の数は960人に上った」。

その自決の方法は壮絶なもので、イスラエルに住む私には考えられない結末でした。

お父さんが自らの愛する家族を殺す・・・?

日本には言わずと知れた「切腹」の文化があり、戦時中も国のために命を落とすことに賞賛すらあった珍しい国なので、ピンとこない人もいるかもしれませんが、ユダヤの民に自決はありえないんです。

どんな場合でも、決して諦めずに最後まで生き抜くことが民族としての誇り。

自ら死ぬことは禁忌とされています。

私はこの国に訪れた時、一番驚いたのが、仲の良い家族の姿、父と子、夫婦の麗しい姿だったので、マサダのストーリーには体が震えました。

国を永遠に失うかもしれない夜、愛するものに手をかけた男たちの心を思うと・・・。

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そして、「マサダは2度繰り返さない」とイスラエル国防軍の入隊式は、このマサダ頂上で行われます。

”国家への忠誠と、最後まで諦めず生きることを、愛するものを守ること”を誓うそうです。

最後に・・・

「イスラエル軍はマサダの記憶があるから、例え世界中から批判を受けようと、愛するものを守るためなら先制攻撃を恐れないんだ」と友人が語ってくれました。

そして命に、生きることに固執し、最優先する。

イスラエルの命にこだわる思いの根底には、このマサダで国を一度失った記憶があるのかもしれない・・・。

私は何を優先に生きているだろうか、と考えます。経済や自分中心に生きてやしないかと自問自答しました。

この記事はコロナ禍のロックダウン中の街で書いています。

国を守る、命を守る緊急事態の時にこそ、それぞれの心が剥き出しになる・・・。

命最優先で突き進むイスラエルを生で見ながら、愛する祖国日本を思っています。