ホロコースト記念日、戦没者記念日、独立記念日と、イスラエルに降りかかった厄災と、失われた命を、覚え、記憶する「祭り」の1週間。記憶と追悼の週。
イスラエルでは、「記憶」が国を一つにしていく力であり、子供たちが未来を生きていく力である、と捉えています。ですから、「祭り」を「記憶の継承」と訳した方がいいかもしれません。
亡くなった一つ一つの命とその記憶(記録・歴史)を、国の宝として継承します。
決して被害者意識を植え付けるためではなく、歴史の事実をそのまま記録し伝えるため研究し続け、「記録」と「記憶」が未来を建てあげる力となるよう育てることを大切にしています。
過去の痛みを忘れてしまうのでもなく、だからといって恨むのでもなく、良い未来に進んでいくための土台として残す。
とても難しいことなのですが、そうあろうとする姿勢が垣間見える週です。
イスラエルの心を肌で感じる期間が、毎年4-5月にやってくる3つの記念日。
・ホロコースト追悼日[ヨム・ハショア](4-5月 独立記念日の8日前)
・戦没者記念日(4-5月 独立記念日の前日)
・独立記念日(4-5月)
深いテーマではありますが、今回はこの3つの記念日についてなるべく簡単に紹介します。
ホロコースト追悼日(ヨム ハ ショア)
写真はエルサレム旧市街、シオンの丘にある「ホロコーストミュージアム」
この日は、ナチスドイツのユダヤ人絶滅計画のために亡くなった600万人の同胞・家族たちを覚えます。
毎年公式の祭典が行われる他、失われていく生存者の声を残そうと様々な取り組みが行われています。中でもホロコーストの研究機関であるヤドバシェムでは、亡くなった一人一人を洗い出す途方のない作業が今もなお続けられています。
命に焦点を当てるイスラエルの姿勢は、被害者としてではなく、1人の人として、彼らがどう生き、またどう死んだのか、その記録を残し、記憶すること。
それを知った今の私たちはどう生きるのか、子供たちをどう生かすのかを問います。また個人でも、記憶するという意識は高く、各家庭、親族、学校でもさまざまな形でこの週にイスラエルの命のあゆみに触れます。
近年広がりつつあるのは、「zikaron ba salon」(記憶のリビング)と言うオープンハウス。
ホロコーストサバイバーのいるお家や、その子供たちの家に集まり実体験を聞く、という取り組み。(ヘブライ語がメイン)
独立記念日の8日前に当たる日で、全国で定刻に黙祷が行われ、レストランやカフェも閉まります。
この日から7日間は娯楽施設は休館し、ラジオからは陽気な音楽は流れず、国中が喪に服します。
戦没者記念日(ヨム ハ ズィカロン)
この場所は現代イスラエル建国の父、「テオドール・ヘルツェル」の眠る丘で、ホロコーストミュージアム(ヤドバシェム)の隣に位置し、建国への思いが詰まった緑豊かな美しい森です。
ホロコースト追悼日から7日目、戦没者記念日がもたれます。
この日は、イスラエル建国当初から国のために亡くなった家族や友人を覚える日。
イスラエルでは、戦争で亡くなった人はその地位に関わらず、「へルツェルの丘」へ埋葬されます。
命の重さがみな等しく平等であることを感じる丘です。
記憶と追悼の週は、娯楽施設の他、レストランやカフェも閉まり、ホテルではお酒の提供をやめます。
私の隣人のおじいさんで仲良しのYおじさんが、この週にヘルツェルの丘へ連れて行ってくれました。
自然の森の中に緑と花が丁寧に手入れされ、穏やかで爽やかな風の吹く、気持ちの良い場所です。
そこに整然と並んでいるエルサレムストーンと植木。イスラエル人のお墓です。
一つ一つに、故人の好きなものや花や木が溢れ、賑やかでカラフルで、イスラエル人だな〜と微笑ましくなります。
※イスラエルでは、お墓の上に「石」を置く習慣があります。花は枯れてしまうけれど、石はいつまでも残るから。あなたのことを、私も、そして私の子孫にも忘れさせない。そんな記憶の習慣です。
Yおじさんは、31才の息子、エマヌエルを亡くしました。
空軍の優秀なパイロットでした。
訓練中、一緒に乗っていたパートナーのパイロットが気絶。最期の瞬間まで諦めず、仲間に声をかけ続けた…そんな勇敢な姿が記録されていたこと、軍からの連絡を受けた時の気持ち、駆けつけた時の様子・・・
椅子を並べて座り、彼の最期の姿、その時の家族の思いを語り聞きます。
見るとあちこちに椅子があり、ああ、それぞれのストーリーをここでゆっくり語り、記憶しているのだなぁ…とわかります。
Yおじさんは、「戦闘中ではなく、事故で亡くなった息子もここに埋葬してくれた。息子も国の誇りとして扱ってくれた」と、イスラエル軍の態度に誇りを持っていました。
「イスラエル軍の基地へ行けば、今でも息子を覚えていて、私に声をかけてくれるんだ。」と誇らしげに、そして「イスラエルは、たった一つの命も小さいものとして扱わない。」そう語ってくれました。
子どもたちを軍に送り出す気持ちはどんなものなのでしょう。
イスラエルが今このように存在し続けているのは、イスラエル軍が戦ってきたから、守っているからであることは間違いないのです。
ふと気が付くと、並ぶお墓に刻まれた年齢は19才…21才…25才…19才…写真が飾られているお墓には、彼らの笑顔が輝いています。
エジプトで奴隷であった古代も、国を失って全世界に散り、迫害された時代も、建国から今現在に至るまで、命とその記憶を絶やさず繋いで継承してきた延長線上にイスラエルはあります。
ヘルツェルの丘は未来を繋いでいく場所です。
国中に響き渡るサイレン
ホロコースト追悼日と戦没者記念日には、朝とお昼の2度、国中にサイレンが鳴り響きます。
この時、車に乗っている人もバスに乗っている人も外に出て、街中の人がその場に立って頭を垂れ、または敬礼し、黙祷を行います。
その景色を初めて見た時に感じた感動は魂に焼き付いています。
サイレンがなる直前まで何も変わらないイスラエルの賑やかな日常。その全てを止め、町中にサイレンの音だけが響き渡る瞬間、この国の「バラバラなのに一つ」という奇跡を目の当たりにします。
イスラエルが大切にする「記憶」は、敵への恨みや憎しみではなく、いつも命への姿勢です。
難しい問題を山のように抱えていますし、綺麗事ばかりではありません。
しかし命を最優先する心がそのベースにあることは確かで、こんな姿を見るたびに、イスラエルに惚れてしまいます。
独立記念日(ヨム ハツマウート)
喪に服していた戦没者記念日の夜。一週間の喪が明けます。
その夜です。さっきまで喪に服していたはず。(※イスラエルのお祭りは、全て夜から始まります。)
どこからともなく漂ってくる炭火焼の肉のいい香りと、ワインを飲んだり賑やかな声、陽気な音楽が聞こえてきます。
「独立記念日」です。
初めて体験した時は、全く心がついていかず、大いにビビりました。切り替えの速さ!!!!!エルサレムの至る所でライブが始まり、歌い踊る群衆。
この切り替えの速さも、イスラエルの強さの秘訣。いつまでもだらだら引きずらない。
悲しむ時に悲しみ、喜ぶときに喜ぶ。「時」がある。このメリハリが、負の感情や不安に負けない、希望を持ち続けるイスラエルのあり方です。
次の日のお昼にもなると、街中の芝生という芝生の木陰にBBQセットが並び、国中が肉の焼ける香ばしい煙に包まれます!どこに行っても炭火焼きの匂い!!
この光景は圧巻。(いつその大量の肉を買っていたんだ。)
イスラエルの祝いは、やはり古代から肉の焼ける匂いと共に・・・
イスラエルの命に対する考え方、「記憶」と「喜び」こそ、この国の力。
悲しみにとらわれず、与えられている命を喜び、楽しみ、満喫する生き方。
失われたもの、痛みを決して忘れないし、誰よりも記憶して語り継ぐけれど、そこで生きる喜びを絶対失いません。
いや、むしろ更に喜びを増し加えて、悲劇に勝利しているように感じます。
独立記念日にはイスラエル軍が飛行ショーを行い、国民がフィーバー!
BBQの群れが国中の芝生を埋め尽くし、身体中に煙の匂いをまとった人々の笑い声が響きます。
生きる喜び。悲劇や理不尽との付き合い方。命と希望。イスラエルの魂に触れる週。少しはお裾分けできたでしょうか。