ユダヤ教の食物規定コシェル
ヒンズー教やイスラム教の食物規定のように、ユダヤ教の「食べても良いもの・ダメなもの」の決まりがあり、それを「コシェル」と呼びます。
コーシャー、カシェル、カシェルートなどカナ表記は様々ですが…ここでは「コシェル」で説明しますね。(イスラエルって単語一つシンプルな説明にならない。笑)
日本の友人にコシェルの話をすると、「豚もエビもうなぎもだめ?チーズバーガーがない??食べられない決まりがあるなんてしんどい!」と言われます。笑
でも、日本人の私たちも、土足で畳に上がらないとか、皿洗いは泡をゆすぐとか、お皿は持ってたべるとか、肘をついて食べないとか、音を立てない〜箸の持ち方〜魚の食べ方〜と、言い出すとキリがないほど無意識のマナーや決まりがありますよね?
きっとそんな感覚で、本人たちにはいたって普通のこと。
宗教的でない人たちでも、「そのほうが気持ちいいから。」と守っている人がいて妙に納得しました。
私の「和食にタイ米は無理」と言う自分ルールも、こちらではあまり理解されない。笑
何が違うの?とか言われてこだわり強すぎの人と見られます。(全然違いますよね!)
国が違えば価値観も感覚も違う!で、そこが面白い。
特に、食事のマナーや決まりにはその国特有の興味深い文化がいっぱい!というわけでコシェルを紹介します。
私のコシェル体験
あるユダヤ教のラビ(ユダヤ教の教師)
私が初めてコシェルと出会ったのは、あるユダヤ教のラビを日本に招待した時。
私たちは複雑なユダヤの食物規定がわからず、彼の食事には何かと苦労し失敗しました…
今となってはありえないのですが、私たちの失敗によって、ルールをいくつか破らせてしまったのに、彼は嫌な顔一つせず「ベストを尽くそうと努力することが大切。たとえうまくいかなかったとしても」と努力した我々に感謝し、にこやかに微笑んでいました。
ルールを粗末にするのでもなく、ルールだからと融通が利かない訳でもなく、敬虔に、謙遜に最善を尽くす姿勢。
しかも周囲の人を嫌な気分にさせない…なんと立派な人だろうと感銘を受けました。
ある金曜日、ラビが「一緒にシャバットの夕食をしないか?」と誘ってくれました。(シャバットってなに?)
シャバットの儀式に欠かせない”ぶどう酒”を用意したのですが、私たちの中にお酒の苦手な人がいることを知ると、「100%のブドウジュースを買いに行こう!」とお願いされました。
ところが行ったお店に100%ブドウジュースが無い。ウエ◯ルチとか何かしらはあると思ったのに、なぜか他のお店に行ってもない…
しかたなく果汁3%のぶどう味のジュースを買うのかな、と思ったのですが、ラビが買ったのは100%オレンジジュースでした。
彼は聖書の定める「コシェル」や「規定」の深い意味を考え、その核となるもの「神の言葉への真摯な心」を守っているのであって、盲目的にルールを守っているのではない!という姿勢に感動したのを覚えています。
ヘブライ大学の学生
イスラエルに来て数年した頃、学生たちを招いて、日本食パーティーをすることにしました。30人近く招待したのですが、ヘブライ大学は世俗的な大学なので大丈夫だろうと甘くみていたら…
・どこで買ったものかが知りたい(コシェルの店かどうか)
・紙皿と紙コップが必要(厳格な家庭は食器にもコシェルがある)
・何も食べないけど行ってもいいか(さらに厳格な方は外国人の作るものを食べない!)
などなどなど…
もちろん全く何も気にしない人もいるので千差万別。完璧なおもてなしはレベルが高すぎて不可能でした。笑
しかし、集まった全員が本当に満足そうに楽しんでいました。
それぞれ、食べれるものを食べたり、食べなかったりしながら…
ザックリルール説明
細かく言い出すとキリがなさすぎて私もわからないので、大まかなコシェルを説明します。
動物の屠殺方法
聖書の規定通りであるか?ということなのですが、基本的に「苦しませない屠殺方法」であり、その飼育方法についても動物にとって良いものであるかどうかのチェックがあります。
また、「命は血にある」とされ、血を飲むことはタブー。
血抜きは徹底して行われます。(だからイスラエルの肉はちょっと肉硬いよ。)
食べられるもの
反芻して(羊みたいにいつもモグモグしてる動物)なおかつ蹄が割れてる動物は食べられます。
豚は蹄が割れているけど反芻しないからNGなんですね〜。(あ…ルール上キリンは良さそうだな。)
海のものはヒレと鱗のあるものはOK。イカ・タコ・エビ系はダメです〜
※イスラエルは空前の寿司ブームですが、コシェルで食べられる魚は限られています。ネタの数が少ないのはそのせい。一般にはサーモンとマグロとアボカドだけが主流です。
乳製品と肉
聖書には「母親のミルクでその子を煮てはならない。」とあります。
聖書は動物に対しても憐れみの心を持ち、必要以上に苦しめたり殺したりしないよう教えるのですが、これを徹底的に守ると決めた彼らは、ミルクと肉が絶対出会わないよう(たとえお腹の中でも!)様々なルールを守っています。
例えば、レストランは乳製品を扱う店(ハラビー)と、肉料理を出す店(バッサリー)で分かれます。肉の出てくるお店では食後にコーヒーを頼んでもミルクは付きません。
バターで肉をソテーしませんし、クリームシチューに肉は入りません。ラザニアもチーズバーガーもピザのサラミもコシェルではNG。
家庭によっては食器にも肉用、ミルク用があって、シンクも2つ、冷蔵庫も保管庫も分かれていたりします。
スーパーでも肉コーナーと乳製品コーナーはしっかり離れて設置され、ホテルでも朝のバイキングは乳製品、夜のバイキングは肉料理と分かれているんです。
もちろんどこまで徹底的にするのかは人によるので、なんとも言えません。
コシェルにもランクがあり、より宗教的なコシェルから、ゆるいコシェルまで、マークによって分かれていたりします。
イスラエルのコシェル普及率
イスラエル紙Ynetによると、ユダヤ教ではない世俗的なユダヤ人の40%がコシェルを守っている、とあります。すでに文化として浸透しているのは体感でも感じます。
街のレストランやカフェ、シュックの各商店にも、「コシェル」の認定証書があったり、
食事に行く時や、友人を招く時には「今日はハラビーにする?バッサリー?」と最初に確認したり。
関係していると思うのですが、イスラエル人は食についてしっかり考えていて、食と命の教育水準が高いという印象があります。
(でも食べ残したり、こぼしたりはするから日本の食育とは少し違う。笑)
ある友人のお宅では、お父さんは確信を持ってコシェルを守らないユダヤ人、お姉ちゃんはビーガン、弟はベジタリアン。と、家庭内でもそれぞれの価値観を尊重しあっています。(お母さん大変…)
なんとビーガンは5%ほどいるそうです。やたら多いと思った!
ある人は、「イスラエルは草食動物の楽園。世界一ビーガンに優しい国!」と称していました。
食べられないものが多いのは辛い?
規則やルールだから守るのではなく、命について、信仰について、真剣に向き合ってきたからこその食物規定。この国でコシェルを知ってから、窮屈に思ったことは一度もありません。
むしろ、自分の「食」についても考える良い機会になり、肉を調理するときなどは「命」を意識するようになりました。
人間の贅沢の為に、機械的に飼育・屠殺される大量生産の仕組みについてコシェルは語っています。
それは「かわいそう」とか「動物愛護」ということよりも、命に対する感謝と責任。
食に対する本当の喜びと、この世界の秩序と摂理に目を向けることのように感じます。
具体的に禁止されていることで意識が変わり、食事が一層感謝と喜びに満ちたものになるから不思議。
また、コシェルの食文化は、意外にも豊かで独創的!!毎回驚きます。
イスラエルの食卓には制限があるとは思えない幸せと笑顔が溢れています。
美味しく食べよう!という試行錯誤は凄まじく、そこには「窮屈な決まり」を感じさせません。ビーガンも、ベジタリアンも、アレルギー持ちも、宗教者もそうでない人も、みんなが楽しめる「幸せな食」がこの国にはあり、むしろより自由度が高いと感じます。
そこがすごい。
以前は「ルール」と聞くと「拘束」という息苦しさを感じていたのですが、この国ではむしろもっと自由で、優しく、心地の良い響きを感じるようになりました。
コシェル食品は健康で安全?
さて、なぜかこんな誤解が一部の日本人にはあるようで首を傾げました。
「コシェルだから健康」は、「日本人は細い=日本食は痩せる=寿司はダイエット食」と思っているイスラエル人に会った時と同じ衝撃。(寿司は太るよ)笑
コシェルにもランクがあり、動物の飼育環境もコシェルだからと言って良いとは限りません。農薬たっぷり使っているものもありますし、添加物や砂糖、油がたっぷりの加工食品もあります。そして、肉料理と乳製品が一緒に食べられないので、スイーツは乳製品の代用品を好んで使用し、食物油脂やマーガリンは多いです。
また、農業先進国のイスラエルでは、遺伝子組み換えなどの研究も進んでいて、肯定的です。
食のこだわりが多様すぎるこの国では、「自分で考えて、自分で選ぶ」という自由度が高く、意識高い人も、低い人も不自由しません。そういう意味では健康的に生きることが容易い国であることは間違いないと思います。
最後に・・・
イスラエルで売られている日本のお醤油にも「コーシャ認定食品」の表記が!!
(…イスラエル人読めないと思うけど)